愚民159

人はただ十二三より十五六さかり過ぐれば花に山風

入院1日目の夜

痛みはいつも夜に来る。なぜかは分からない。気温の低下や気圧の変化なども原因なのだろうが、暗闇と静寂に包まれるとごまかしが効かなくなり、純粋な自分の痛みと向き合わざるを得なくなる。


管を入れた最初の夜が一番辛い。前回入れた時は痛みのあまり丸1日は起き上がることもできず、トイレにも行かなかった気がする。
しかし、人間は考える葦である。私には前回気胸になった時の経験があり、そのうち動き回れるようになるという知識がある。その知識と経験から、むしろ前回は動かないから動けなかったのではないかという仮説を立ててみた。人には適応能力というものがあるが、それを発動させるためにはその環境に身を置くことが大前提である。痛みに耐えながら動けるようになるためには、率先して動くしかないのではないか。そもそも、そのうち動き回れるようになるのであれば、いま動けないことはないのではないか。ランボーだって傷口を爆破した直後に敵をぶっ潰しまくっていたではないか(この1年くらいマイブームはシルヴェスター・スタローン)。


というわけで、管を刺して数時間後の夜、私は立ち上がって自力でトイレに行ってみることにした。だが、やはりめちゃくちゃ痛い。少し手を動かしただけで、右半身を何かで貫かれているような痛みに襲われる(実際に刺さっているのだが)。
段々アルプスの少女ハイジに出てくるクララになったような気持ちになってくる。ハイジは立てないクララを罵ったが、野山を裸足で駆け回る健康優良児世界代表みたいなハイジに何が分かると言うのか。痛みに耐えて立ち上がることがどれだけ辛いか知っているのか。チェーホフの『六号病室』に出てくるイヴァン・ドミートリチはこう言っていた。「苦悩を軽蔑することは、大多数にとっては生活そのものを軽蔑することを意味したでしょう」苦しみは生きることそのものであり、それを否定することは人生を否定することである。あの殺戮マシーンのジョン・ランボーだって、俺の戦争は終わってないと号泣していたではないか。苦痛には叫びと涙で答える、これが人間なのだ!

それでも戦い続けたランボーに勇気をもらいつつ、30分くらいかけてベッドの柵にすがりつきながらなんとか立った。管は排気を促す器械(画像参照)に繋がれており、その器械は点滴棒にぶら下がっている。点滴棒にすがりつつ、徒歩10歩程度のトイレまでの道のりを5分くらいかけて歩く。生まれたての子鹿だってもっとしっかり歩けるだろう。しかし、管を入れた日に歩けたことに無上の喜びを感じた。心の中のハイジも「愚民が立った!」と喜んでくれた。


気胸になると、呼吸をひどく意識するようになる。画像の器械には中央に青い水が入っており、この水は呼吸とともに上下に動く。咳き込んだりするとブクブクと泡立つ。これが動いている間は肺から空気が漏れているということなので、なるべくブクブクしないように注意する。しかし、ちょっと咳き込んだり、トイレでいきんだりすると途端にブクブク鳴り出す。そういう時は連動して傷口も痛む。
一番辛いのはくしゃみをした時だ。リアルに「爆破しそうだよこの胸は」(by.タッキー)状態になり、爆発的な痛みによりしばらくその場で硬直して動けなくなる。器械は泡立ち、思わず「痛い痛い痛い!!」と声が出る。この器械はもはや私の肺の一部であり、人間だったら「愛してる分かってる君(の肺)のこと」と歌ってくれることだろう。なので、この器械のことはタッキーと呼ぶことにした。


管を刺した夜、トイレで一通りの作業をこなしてベッドに戻るころには息切れを起こし、タッキーの青い水は激しく上下に動いていた。しかし、ここで立てたことが自信につながり、次の日からはかなり動けるようになり、前回出たような高熱も出なかった。やはり、多少無理をして動いたことは正解だった。苦痛を乗り越えたところには必ず得るものがある。

ささやかな達成感は得られたが、それはそれとして痛いものは痛かった。

入院1日目

右肺の潰れたレントゲンを見て脱力した。「気胸って何でなっちゃうんですか?」「色々。急に起き上がったり、寝返りでなる人もいるしね」 「入院ですよね」「入院だね」再び脱力した。

私は特に激しく寝返りをした記憶もなかったが、今月は仕事が忙しかったので、疲労が蓄積していたところに、週末の低気圧の影響で肺の薄い部分に穴が開いてしまったのではないかと思う。


とりあえず肺に負担をかけないために、車椅子が用意され、採血とCT撮影と心電図検査を行い、そのまま入院する病室へ連れて行かれた。合間に自宅に電話したが、もはや母も慣れており、「じゃあ手が空いたらいくわ〜」とのことだった。
気胸で入院しても即手術という訳ではない。事情によっては即手術を望む人もいるらしいが、一旦は胸腔ドレーンというものを入れて、肺が膨らむのを待つ。肺は例えるならガラス瓶の中で膨らんでいる風船のようなものらしい。肺に穴が開くとガラス瓶と風船の間に空気が溜まる。漏れた空気を外部から力をかけて抜いて、自然に肺が膨らんで穴が塞がれば治療は終了する。そこで膨らまなければ手術となる。

前に気胸になったのは、つばめグリルでメニューを見ていた時だった。メニューを見ながら前傾姿勢になっていて、起き上がった瞬間に強い痛みを感じて、苦しくて動けなくなった。しかし、しばらく深呼吸したら苦しさはなくなったので、そこから2週間は普通に働いていた。苦しさもあったが、単に仕事が辛いせいだと思っていた。胸のポコポコは飲み過ぎのせいだと思っていた。当時の私は完全なるアル中の社畜であった。
前回は2週間以上放置していたため、左の肺は完全に潰れており、胸腔ドレーンでも膨らまなかった。結局、手術になったのだが、思い出したくないくらいの辛さと痛みに彩られてるので、 今回は手術に至らないことを祈っている。


しかし、手術以前の胸腔ドレーンもめちゃくちゃ痛い。
まず、長さ13cmほどの人差し指くらいの管を胸腔に突き刺す。そして、管がずれないように皮膚に縫い付ける。その管をドレーンバッグという排気を促す機械(初演の滝沢革命のパンフより一回り大きい程度のサイズ)に取り付ける。

気胸が嫌なのは症状も治療もどれもこれもめちゃくちゃ痛くて苦しいことだ。先日心臓の手術もしたが、気胸に比べたら屁のかっぱだった。相葉ちゃんが2度の気胸で引退を考えた気持ちも分かる。 私ももう仕事辞めたい。


管入れは病室で行った。起こされたベッドの上に右手を挙げながら座り、汚れないように右胸の下に何枚も紙が敷かれる。そして、挿入部にマジックで印が付けられ、イソジンのようなもので念入りに消毒された後に患部だけ穴が開いた緑の布を被せられる。この布は感染症を防ぐために完全に滅菌されているので、この上に絶対に腕を落とすなと言われる。
それから麻酔を打たれるのだが、たぶん筋肉注射なので、これがまず痛い。私が痛い痛い言うので、多めに麻酔を打ってくれたようだ。
麻酔が効くのを待って、管を入れる。麻酔が効いていて、痛くはないのだが、強く押される感覚がとにかく苦しくて辛い。体内に異物を取り込むことはものすごい負担になるのだと思う。挿入自体は5分程度で終わるが、全身から脂汗が滲み出る。それから管がずれないように皮膚に縫い付けるのだが、この頃にはほんのり麻酔が切れ始めるので少し痛い。不快な異物をわざわざ縫い付けるという行為自体が嫌で仕方ない。ずっと右腕を上げているので痺れも来る。それを訴えると、控えていた看護師さんが腕をおさえてくれた。

処置が終わるとひたすら安静にするのみ。絶え間なく心拍数と脈拍と呼吸を測るため、心電送信機というものが付けられる。心電図検査の時のようなコード付きのシールを胸に3箇所貼り、指には常に酸素濃度測定の洗濯ばさみみたいなものを挟んでおく。機械はパスポートくらいのサイズなので、動くときは胸にぶら下げる。ちょっとしたデジタリアン気分である。
しかし、本当の苦しみはここからやってくる。麻酔が切れると同時に、管を刺したところが猛烈に痛くなる。長い管が刺さっているため、少し動いただけでも背中に激痛が走る。それが大体2〜3日続く。全身が熱くて寒い。刺さっている半身が重くて、胸の中に冷たい剣山を埋め込まれているような鋭い痛みに絶え間なく襲われる。一応ロキソニンを処方されるがあまり効かない。ただ私はロキソニンを飲むと眠くなるので、眠って誤魔化すことはできる。しかし、2時間もすれば痛みで目が覚めてしまう。ロキソニンは最低でも4時間は間を開ければならないので、ただベッドの上で痛みに耐えるしかない。

ランボー3という映画の中で、ランボーの胴に木が貫通し、それを引っこ抜いたランボーが傷口に火薬を詰め込み爆発させて止血するというワイルド極まりない処置をしていたが、そんなこと私には絶対にできない……となんとなくランボーのことを考えながら地獄のような痛みにひたすら耐えるしかないのであった。

入院前夜

昨日、自然気胸になって入院した。1年4ヶ月ぶり、2回目である。


女性がなりやすい気胸として、 月経随伴性気胸というものがある。子宮内膜症ではがれた子宮内膜が横隔膜に癒着し、肺に穴が開いてしまうらしい。しかし、私がなった気胸は月経とは関係ない。相葉ちゃん、内くん、戸塚さんもなった自然気胸というものである。
上記の方々がなっているため、ジャニヲタはある程度気胸に対する知識のある方が多いと思うが、特に具体的な理由もなく、ある日突然肺の薄い部分が破れて穴が開いてしまうものが自然気胸である。自然に穴が開くから自然気胸というらしい。空気の漏れた肺は風船のように潰れて息ができなくなる。肺は2つあるので、1つが潰れても死なないが、そんな時にもう1つ潰れると死に至ることもある。
気胸は基本的には若くて細くて背の高い男性に多いため、イケメン病なんて言われることもあるが、私は若くもなく細くもなく背は知念様より少し高いくらいの女である。知念様というイケメンを病的に好きではあるが、イケメンではない。病院でも何度も「女性がなるのは珍しい」と言われた。


前回気胸になった時は、ノートに自分の入院記録を書きつけていた。しかし、ノートだといざという時に手元にないと読めない。またネット上には女性の気胸経験者の記録が圧倒的少ない。

自分の備忘録として、また数少ない女性の自然気胸患者の経験談として、今回はネット上に記録を残そうと思う。あくまで個人的な記録なので面白くないし、不快ですらあるかもしれない。ジャニヲタの方は、相葉ちゃんや内くんや戸塚さんもこんな苦しみを味わっていたということの参考にもなるかもしれない。


最初に息苦しいと感じたのは日曜日の夕方だった。うちに宝塚のDVDを見に来た友人たちを駅まで送ったあたりから息苦しさを感じた。ただ、1年4ヶ月前に気胸で手術を受けてから低気圧の日は胸が痛むことも多く、いまいち判別がつかなかった。
想像妊娠ならぬ想像気胸の症状に陥る気胸患者は多い。再発率が高い上に症状も治療もかなり辛い病気なので、少しでも息苦しいと気胸再発の恐怖に突き落とされる。
気胸はレントゲンを撮ればすぐに分かる。肺には血管が張り巡らされており、レントゲンを撮ると血管が白く網状に写り込む。気胸になると肺が潰れるため、肺のあるべきところに黒い空洞が写る。去年の今頃も胸の痛みを感じ、心配になってレントゲンを撮ったが何もなかった。そのレントゲンを見ると安心して息苦しさもなくなる。人間は弱いけれど図太い生き物だと思う。

とりあえず日曜日だったので、その日はそのまま眠ったが朝になっても息苦しさは消えない。再発が頭をよぎり、入院してもいいように最低限の荷物をまとめ家を出た。
しかし、月曜日に仕事中に抜け出して、会社の近くの病院でレントゲンを撮ると肺は膨らんでいた。よかったと一瞬安堵したが、苦しさは去らない。想像気胸だとここで苦しさがなくなるはずである。
なんとなく不安がよぎり、外に出る営業の予定はすべてキャンセルし事務仕事をひたすら行う。鎖骨の下、中央よりやや右寄りのあたりから、かすかだが聞き覚えのあるポコポコという音がし始める。 水槽に酸素を送るポンプのような音、かつても経験した肺から空気が抜ける音だ。まさかと思いつつ、仕事は定時で切り上げ、会社近くの一人暮らしの家ではなく実家に帰った。気胸は悪化すると息ができなくなり、倒れてしまうこともあるので、一人では不安だった。入院していた病院は実家のすぐ近くなので、色々な意味で実家の方が安心だった。smartのDVDを持ってこなかったことが心残りだった。


火曜水曜と普通に仕事をした。だが、外に出るアポはキャンセルするか、上司に任せた。少し話すだけでも苦しくなり、階段を数段上り下りするだけで肩が上下するほどの息切れを起こした。肺が漏れて空気が胸郭に貯まるせいか、あまりお腹も空かなかった。右胸からは呼吸とともに時折ポコポコという音がなる。
夜、寝る時には背中の右側に鈍痛と息苦しさを感じた。仰向けで寝ると背中が痛いので、左胸を下にして横になると息苦しくなり、右胸を下にすると右胸の下の方がひどく痛んだ。結局、仰向けで寝るのが一番マシだった。以前気胸になったのは左だったが、その手術の際に右にも薄いところがあると言われたことを思い出し、やはりまた開いたのでは?と不安になる。だが、じっと眠っているせいか朝になると少し体調は良くなっているので、やはり想像気胸かな?と自分を騙し騙し会社に行った。


水曜の夜になると、まるで気管支を塞がれているような重い息苦しさが絶え間なくつきまとうようになった。平坦な場所を歩くのも辛かった。右肩から背中にかけて、ひどい肩こりのような痛みを感じ、右腕の痺れも出てきて、いよいよやばいと感じ始めてきた。月末の繁忙期なのでせめて今週は休みたくなかったが、このまま倒れる方が迷惑だと思い、最低限ここまでやればとりあえずどうにかなるだろうというところまでやって、木曜日に休みを取ることを願い出た。少し残っていた仕事は上司にぶん投げた。


そして木曜日、入院していた病院に診察を受けに行った。親は楽観視していたが、私は入院準備をしたカバンを一応親に渡しておいた。母からは「自転車で行けば?」と言われたが、そんなことしたら死ぬので、お願いだから車かタクシーで送ってくれと懇願した。結局、父が車で送ってくれた。

9時過ぎに病院に着く。この病院はとにかく待たされるので、最低でも午前中いっぱいはかかると思っていた。実際、待合室は人でいっぱいだった。

しかし、受付で問診票を出すとすぐに呼び止められて、その場で酸素量と脈拍を測られた。太った陽気そうな看護師さんに「脈拍めっちゃ早いんだけど!!」と何度も言われた。確かに少し歩いたので息切れと動悸がしていた。
それから15分ほどで診察室に呼ばれ、まずはレントゲンを撮るように言われた。レントゲンを撮るために着替えるだけでも息が切れる。レントゲンを撮り終え、30分くらいすると再び呼ばれた。
先生が「前回は左だったんだよね?」とおっしゃった。その尋ね方に嫌な予感がしつつ「はい」と答えると、「今回は右です。ほら」とレントゲンを指さした。そこには二回りほど小さくなった右の肺が写っていた。

知念様21歳おめでとうございます。

誰しも「宇宙の果ての外側には何があるんだろう?」と考えたことがあると思います。私にとって宇宙の果ては20歳でした。


男の子の11歳〜16歳という年齢は桜で言えば満開の季節です。その初々しい生命力は見る者を圧倒し魅了します。
私が一番好きな少年の年齢は17歳です。子供の時代が終わり大人に変わり始めた少年が新緑のように瑞々しく輝く素晴らしい季節です。
18歳も好きです。少しだけ大人の世界を手に入れつつもやはり不自由の中で生きなければならない高校最後の1年です。
19歳は大人と子供の間で何の肩書きもないある意味一番不安定な1年で、その不安定さもまた魅力的です。
そして20歳となった少年は青年へと成長し、大人として完全に認められ自由に羽ばたいていきます。


私の宇宙はここまででした。今まではどんなに好きな方でも20歳を過ぎると緩やかに萌えを失っていくことがほとんどで、私の萌えの中に「21歳」という年齢は存在していませんでした。「ちねんゆうり21歳」という概念はまさに私にとって宇宙の果ての外側の存在で、私の想像力の限界を超えた代物なのです。

何せ私はショタコンなので、知念様を全力で好きなのはきっと15〜17歳までで、惰性で18歳・19歳も見届け、知念様20歳とともにジャニヲタを卒業し、ドストエフスキー文学の精読生活に入る予定でした。ここ2・3年は「今年でこんなに知念様が好きなのはきっと最後だから」と思い、ツアーも出来る限り全ステしてきました。まさか20歳を12ヶ月もすぎた知念様のことも未だにフルスロットルで好きだなんてまったく予想だにしておりませんでした。


ここ1年の知念様のもっとも顕著な変化は圭人と再び仲良くなったことだと思います。知念様の圭人との再接近はKC厨の私ですら戦くほど急激にやってきました。

2011年10月21日のウルパワで圭人はこんなことを言っていました。

あのー、すごいメンバーにすんげー甘えてた、昔から、知念。膝乗ったりとか、ほっぺにちゅーとか、してたりとかするんだけど、もうすんごいみんなに甘えてんの、知念。甘えてたの。 でも、なんか分かんないけど、絶対俺にはしてこないの。絶対、知念、俺には甘えてこないの。で、なんかもう、一回言ってみたの。ちょっと昔だけど、甘えてる時期の話になっちゃうけど、あのなんか裕翔の膝の上座ったりとかして、そのあと山ちゃんの、あの、膝の上座ったの。それで聞いたの、俺、勇気出して。
「ねぇ知念、なんで俺に、なんか甘えてこないの?」
ま、いま考えると気持ち悪いけど。知念が一言、「いや、なんか、圭人だと気持ち悪いんだよね」って言われた……。それで傷付いたイメージがある。

それが今年の夏に出たTVfan9月号ではこんなことを言ってました。

最近変わったと思うメンバーは知念。昔は甘えん坊でメンバーの膝に座ったりしてたけど、大人になってそういうのが減って、オレ的にすげえ寂しいなぁって気持ちがあったんですよ。だけど最近また甘えてくる。知念に「お腹空いたよ」って言われたら「もう〜一緒に食べてあげるよ」ってなるし、「今一人でご飯食べてる」ってメールが来たら「すぐそこ行く。一人で食べないでよ!」って。知念、健康的になったでしょ?ただ、食べさせすぎないように気を付けないとだけど(笑)。「暇だよ〜」って連絡が来たら迎えに行くし。甘えてくれない時はちょっと寂しかったからな。やっぱかわいいです、ちーちゃん。仕事場では知念だけどプライベートでは“ちーちゃん”って呼んでるから。気持ち悪いね、オレ(笑)!

圭人が記憶障害を本気で疑うレベルのことを言っていて開いた口がふさがらなかったのですが、この圭人の記憶障害は知念様の変化がもたらしたことだと思うんです。


最近、知念様のかわいさの暴力性についてずっと考えていました。ここのところ知念様を見るのが苦手です。まず見る前に今回の知念様もかわいいんだろうなぁと想像し身悶えます。そして、実際に見て予想以上のかわいさに打ちのめされます。1回知念様を見るたびに私は2度知念様のかわいらしさに打ちのめされます。そのことに疲れてしまって、知念様を見ることが辛いのです。前から知念様に対してこういう傾向はあったのですが、この1年間で特に顕著になってきて、もはやアイドル雑誌を読むことも苦痛です。知念様のかわいさは私にとってもはや暴力なのです。

暴力で一番大事なことは「容赦のなさ」だと思います。北野武監督のヤクザ映画を見ていると、ためらいなく指を詰めたり、銃で頭をぶっ放したり、文字にするのも恐ろしいような拷問(『アウトレイジ』の歯医者のシーンはトラウマレベル)をしたり、とにかく何もかも容赦がない。その容赦のなさが暴力の純粋な暴力性を引き出すのです。

少し前までは知念様のかわいさには一歩引いたところがありました。どんなに笑っていてどんなにかわいくても精神的には引きこもっているような気がしていました。特に選挙活動中の政治家のごとく笑顔でファンサをしまくる知念様を見ているとファンサという檻に引きこもっているような気がして切なくて仕方ありませんでした。甘えん坊キャラというわりに休日は自宅に引きこもり、誰とも交流しない知念様の行く末を勝手に心配したりもしていました。

しかし、最近の知念様にはそういう切なさをまったく感じません。素直に他人に甘え、セブン会をしたり、山ちゃんと今まで以上に仲良くしたり、圭人をご飯に誘ったり圭人をご飯に誘ったり圭人をご飯に誘ったり、ぬ〜べ〜の共演者と遊んだりご飯に行ったり、狭いながらも楽しそうに外に出ています。まるで遅れてきた青春を楽しんでいるかのようです。

素直に甘え、その甘えをすべて受け入れられ、愛されている自信に満ちている知念様のかわいさには容赦がありません。それは近くにいる人ほど強烈に食らって、パンチドランカーのような症状をもたらしています。現に圭人は強いパンチを食らいすぎて記憶障害を起こしています。ラジオで知念様にお誕生日会をキャンセルされたことをぼやく山田くんにも一種の狂気を感じます。21歳の男の誕生日を祝うことになぜそこまで固執するのか。また、以前はMC中に知念様が寒い発言をすると、メンバーが「また知念が変なこと言ってるよ」と呆れた顔をすることもあったのですが、smartツアーでは知念様が喋っているだけで「知念すごいねぇ。がんばって喋ってるねぇ」と孫を見守るおじいちゃんのような顔になっていました。一方的に見守っていただけの私にすらその威力は強烈なのです。


知念様が20歳になった日、私は渡辺真知子の『かもめが翔んだ日』を聴いていました。自由という空に羽ばたき、一人で生き始め、素直に甘えるようになった20歳の知念様は私が今まで応援してきたどんな年よりも輝いていた気がします。5月のドームで見た赤ちゃんのように真っ白くまんまるに太った知念様は愛されている自信と幸せで内面から膨れているみたいでした。太ったことに気付いて慌ててダイエットする知念様もとても愛らしいと思います。私が見ていた中で一番微笑ましくて伸び伸びしていて人間らしい知念様がみられた1年でした。

1年前、20歳の誕生日に高校1年生の役を演じているなんて知念様はなんて尊いのだろうと感動していました。だけど知念様は21歳になってもドラマで高校2年生の役を演じ、あろうことか去年演じていた瞬太くんよりもショタショタしいという奇跡を起こしています。

私はもともと「知念様世界一かっこいい教」の狂信者であり、実を言うとそれほどショタ的に知念様をお慕いしていたわけではありませんでした。しかし、ここにきて知念様の暴力的なかわいさに打ちのめされ「知念様世界一かわいい教」の熱狂的信者になりつつあります。むしろ20歳を超えて、ようやくショタとして知念様を好きになりつつあるのです。


妄想が走りすぎて本人を飛び越えてしまうことが多い私ですが、そんな私の思い込みを軽々と飛び越えて、私も知らない扉をガンガン開いていく知念様に相変わらず夢中です。いつだって今の知念様が一番好きです。そのかわいさとかっこよさで私を打ちのめし続けて下さい。圧倒的な力にねじ伏せられることが多分私がアイドルを追う最大の理由なのです。

知念様、21歳おめでとうございます。
知念様が今日という日を世界一幸せに過ごせるように心から祈っています。

Hey!Say!JUMP LIVE TOUR 2014 smart(9/20/13:00/17:00・9/21/14:00開演・静岡エコパアリーナ)

生誕地静岡に戻ってはしゃぐ知念様は、黒髪になられたこともあって幼く見えてとてもかわいらしかった。茶髪の時は左眉の上で髪を分けていらしたけど、静岡では右眉の上で前髪を分けていて、お友達も言っていたけれどこちらの分け方の方がなんとなくかわいらしさが増す気がした。特に曲数を重ねて髪が少し乱れてきた時の知念様の適度な隙がかわいらしさにいたいけさを加えていて、もはやかわいすぎて尊い。「ランドセルを下ろしたらただの人」と言ってはばからないショタコンな私の心を強くゆさぶり続ける知念様(もうすぐ21歳)って本当にすごいですね。
今回のツアー、構成には文句ばかり言っているけれど、知念様に対してはかわいいしか言っていなくて、余りにも知念様のかわいいが過ぎて、知念様が世界一かっこいい人だということもそろそろ忘れそうです。幸福に満たされて内側から発光するように白くて柔らかい知念様を見る度に「幸福と美は一致するものさ」という『天井桟敷の人々』の台詞を思い出す。「愛すべし」と書いて「可愛い」と読むことの意味が分かった気がした静岡。微妙に変なテコ入れがされていて、やっぱり見た後は不満しかないんだけど、見ている間は知念様のかわいらしさに打ちのめされています。
まだセトリのみ。

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