愚民159

人はただ十二三より十五六さかり過ぐれば花に山風

入院8日目(手術日)

急な手術となったため、手術前日の夜に家族と共に手術の説明を受け、数種類の同意書に署名した。気胸全身麻酔の手術となるが、麻酔で寝ぼけて暴れた時に身体を拘束することに対する同意書なんてものもあって、なかなか興味深い。2度目の手術ということで、特に質問もなかった。

手術に向けて、親に地下の売店でT字帯を買ってきてもらう。T字帯、分かりやすく言えばガーゼのふんどしである。全身麻酔の間は自力で排泄ができない。そのため尿道カテーテルを入れ、T字帯という簡易ふんどしを履くことになる。かつてラジオ内のヘイセイワーズというコーナーで「ふんどし履いてきちゃった」という意味不明なワーズを言わされたり、銀幕上でふんどしをしめたチャーミングなおしりをおしげもなく晒した知念様の愚民としてはふんどしバッチコイである。


手術は11:30からの予定となった。前日は普通に食事をとり、21時以降は水とお茶以外は禁止となる。また手術当日は食事なしで、代わりに500mlのOS-1(甘くないポカリのようなもの)を2本渡される。午後の手術だと2本飲まないといけないが、私はギリギリ午前だったため、9時までに1本飲むように言われる。9時以降は飲食は一切禁止となる。

手術の前には血栓防止のためメディキュットのような締め付けの強い膝丈靴下を履く。ほぼ一日動かないので、何もしないといわゆるエコノミークラス症候群になってしまうらしい。靴下と浴衣のような手術着だけを身につけて手術を待つ。もちろん下着も着ない。ふんどしもといT字帯は手術中につけてもらうので、看護師さんに渡す。


予定通り11:30に手術室に呼ばれた。手術室までは歩いて行ったが、管が痛くて結構歩くのが大変で、看護師さんに「車椅子にすればよかったね、ごめんね」と何度も言われた。
最初の部屋に入ると、待ち構えていた看護師さんたちに髪をまとめられ、シャワーキャップのようなものを被せられる。部屋はひんやりとして、全体的に緑っぽい。どうでもいいが、手術関係の部屋や服が緑や青が多いのは赤、つまり血の色の残像が緑色だからなんだそうだ。

手術室に入ると台の上に仰向けに寝かせられ、体の上に保冷バッグの裏地みたいなものを被せられる。そこで手術着は脱がされて全裸になる。右腕には血圧を図るための布が巻かれ、左指に酸素濃度を測るクリップ、左腕に点滴が刺される。

続いて脊椎麻酔を入れるため、横に寝るように言われる。右胸には管が刺さっているため、左を下にして横に寝転がる。まずは注射で部分麻酔をし、それから脊椎麻酔の針を刺す。この針は大分長いらしく、カチカチカチと何回かに分けて刺されるのだが、痛みはそこまでないものの何とも言えない嫌な気持ちになる。胸に管を刺す時も思ったが、人間は生理的に異物の侵入が不快になるように出来ているんだと思う。この麻酔を入れるのがかなり嫌なので、全身麻酔の後に入れてくれよと思うが、痺れ等がないか確認するため意識がある間にしないといけないらしい。脊椎麻酔は痛み止めとして手術後もしばらく刺したままとなる。丸まってる間は前にいた若い看護師さんがずっと体をさすってくれていた。


脊椎麻酔が終わると、再び仰向けになり、酸素マスクが口にかけられる。
「まだガスは出てません。まずは眠くなる点滴をします。段々ぼんやりとしてきます」と言われた途端に眠気に襲われる。手術室の時計が昼の12時過ぎを指していると思ったところで意識が途切れた。全身麻酔は本当にドラマのように視界がぼやけたかと思うとあっさり意識がなくなる。手術中は呼吸のため喉から管を入れているらしいが、まったく記憶はない。ただ術後はしばらく喉がほんのり痛い。

ドラマだと病室で自然に目が覚めて、家族に「手術は成功よ」なんて言われることが多い気がするが、実際には手術室にいる間に名前を呼ばれて意識を戻される。
声をかけられて目覚めた時、時計は2時過ぎを指していた。そのまま病室に運ばれるが、一旦は目が覚めてもうつらうつらしていて、夕方頃まではほとんど眠ってしまう。


手術自体は眠ってしまうので、痛みはない。何度も言っているが、痛みはいつも夜に来る。手術をした日の夜、地獄のような一夜が訪れる。

入院6日目〜7日目

昨日は低気圧のせいか一日中だるくて寝ていた。今日は天気が良いから元気。自分が気圧に支配されていることを感じる。

入院すると朝が来るのが待ち遠しい。普段は寝汚い人間なのでいつまででも眠っていられるが、入院していると体のどこかしらが痛くて2・3時間で目覚めてしまう。そして、まだ時間がほとんど経っていないことに落胆する。痛む箇所は傷口のこともあれば、腰や膝の場合もある。管を刺しているせいで寝返りがうてないため、体中がギシギシする。歩き方は段々腰の悪い老婆のようになっていく。なんとなく『罪と罰』の金貸しの老婆のことを思い出す。


6日目の午前中にベッドに寝たままレントゲンを撮る。胸腔の空気を吸引する器械(通称知念様)を導入した効果を見るためだ。移動式のレントゲンは丸みを帯びた白い小さめのショベルカーみたいな感じで、背中にボードを入れて撮影される。膨らんでいることを祈っていたが、結果としては多少マシになった程度で肺は膨らんでいなかった。


ここまで来ると、次に何が待ち受けているか既に分かっている。手術だ。手術をすれば再発率は下がるし、一週間程度で退院できるし、いいことづくめなのだが、手術後に地獄の一夜がやってくる。内視鏡手術といえども切るものは切っているので、ドレーンなんかと比べ物にならないくらい痛い。もう二度と経験したくないと思っていたが、結局こうなってしまった。

私のかかっている病院では、気胸は基本的には内科だが、手術となると外科に移ることになる。レントゲンの結果が出た午後には外科の先生に挨拶された。明日、CTと心エコーと心電図を撮り、早ければ明後日にも手術をするとのことだった(心エコーと心電図は私が心臓にも疾患があるためなので、たぶん普通は受けない)。思ったより手術の日が早かったが、早いに越したことはないので、了承した。


というわけで、明日は手術である。今日は手術に向けた検査がたくさんあって疲れた。けれども、髪は洗ってもらえたし、着替えもできたし、爪も切ったのでスッキリした。明後日の昼までご飯は食べられないので、差し入れのチョコを食べようと思う。


前回も本当はこんな風にウェブ上で日記を書こうかと思っていた。しかし、万が一のことがあって、更新が止まったりしたら後味が悪かろうと思ってやめた。心配しすぎだが、本当にそう思ってしまうくらい心細くて不安だった。
しかし、気胸はめちゃくちゃ痛いし、再発もするが、まず死ぬような病気ではないことが分かったので、今回は書くことにした。戸塚さんだって、気胸になった後も曲芸みたいなことをし続けてるしね。
もし、仮に更新が滞ったら、それは私が怠惰なだけなので気にしないでいただきたい。


それではしばらくごきげんよう

入院2日目〜5日目

気胸の第一の関門は胸に刺したドレーンの痛みの克服で、これを過ぎると経過をひたすら観察するのみなので、特筆すべきことはさしてなくなる。

ただし、この痛みは完全になくなることはない。毎夜寝てると痛みで目が覚めるし、毎朝起きるとしばらくは動けない。振り子のように徐々に落ち着いてはくるが、毎日新鮮に痛い。なので、結局夜はロキソニンのお世話になることが多い。

また今回高熱こそ出なかったが、37度前後の微熱は絶え間なくある。たぶん生物として異物が侵入していることに対して拒否反応が出ているんだと思う。指先に小さなトゲが刺さっても痛むのだから、ボールペン大の異物が常に刺さっていたらそりゃあ痛いに決まってる。

2日目の夜、ふとした瞬間に咳き込んでしまった時が辛かった。咳き込むごとに激しい痛みに襲われるが、咳を無理矢理飲み込むとより息苦しくなり、一層咳が出るという悪循環に陥る。くしゃみは散らすことができるが、むせるとどうしようもない。地獄の苦しみだった。


歩くのも辛い。管が入っているため背筋を伸ばすと痛むので、革命のじじいダンスばりに腰を曲げて歩くことになる。肺に繋がっている器械(通称タッキー)をぶらさげた点滴棒に縋り付きながらよろよろと歩く。たぶん1日50歩くらいしか歩いてないが、疲れる。

それでもわりと動き回ってるので、看護師さんに「痛みに強いんですね」と言われる。「この病気、ほとんど若い男の人がなるんですけど、みんな痛い痛い言ってますよ」とのこと。個人差もあるだろうが、性差もあると思う。男は痛みに弱い。


胸に管が刺さってるのでシャワーには入れない。毎日蒸しタオルで体を拭く。背中は自分では拭けないので看護師さんにお願いする。看護師さんは皆さん天使のごとく優しい。戸塚さんが気胸で入院して、本当の人の優しさに触れた気がすると言っていたが、そう言いたくなる気持ちも分かる。

髪は2日に1度は洗ってもらう。髪からシャンプーの香りがするだけで、人間になれたような気持ちになる。


今日が入院5日目、とりあえず携帯型の心電図は外され、デジタリアンから人間になれたのは良かったが、レントゲンを撮っても肺は膨らんでいなかった。今日も写真をあげているが、タッキーには3つの部屋がある。一番左は胸から出た排液(赤っぽい水)を入れる部屋、真ん中は胸腔から出た空気が逆流しないように青い水で蓋をしている部屋。昨日まではこの二部屋しか使っていなかったが、とうとう第三の部屋を使うことになった。空気を積極的に抜く吸引部屋だ。ここには黄色い水を入れて、水のプクプク具合により吸引の度合いを確認する(んだと思う)。
赤、青、黄というと何かを思い出す。そう、ジャニーズ最強のポテンシャルを持ちながらジャニーズ史上最も不遇だったアイドルユニットNYCだ。黄色、つまり知念様はこんなところでも最後の切り札なのだ。知念様かっこいい!!


しかし、知念様が発動されると枕元の吸引機に繋がれっぱなしになるため、トイレ以外は全くベッドから動けなくなる。髪もおいそれとは洗えない。ベッドが世界のすべて、正岡子規の言う病牀六尺の世界である。
ここ数年、知念様に勝手に縛られて生きてきたが、こんなところでも知念様に縛られるのかと思うと、なんだか宿命的なものを感じる(知念様に迷惑)。

入院1日目の夜

痛みはいつも夜に来る。なぜかは分からない。気温の低下や気圧の変化なども原因なのだろうが、暗闇と静寂に包まれるとごまかしが効かなくなり、純粋な自分の痛みと向き合わざるを得なくなる。


管を入れた最初の夜が一番辛い。前回入れた時は痛みのあまり丸1日は起き上がることもできず、トイレにも行かなかった気がする。
しかし、人間は考える葦である。私には前回気胸になった時の経験があり、そのうち動き回れるようになるという知識がある。その知識と経験から、むしろ前回は動かないから動けなかったのではないかという仮説を立ててみた。人には適応能力というものがあるが、それを発動させるためにはその環境に身を置くことが大前提である。痛みに耐えながら動けるようになるためには、率先して動くしかないのではないか。そもそも、そのうち動き回れるようになるのであれば、いま動けないことはないのではないか。ランボーだって傷口を爆破した直後に敵をぶっ潰しまくっていたではないか(この1年くらいマイブームはシルヴェスター・スタローン)。


というわけで、管を刺して数時間後の夜、私は立ち上がって自力でトイレに行ってみることにした。だが、やはりめちゃくちゃ痛い。少し手を動かしただけで、右半身を何かで貫かれているような痛みに襲われる(実際に刺さっているのだが)。
段々アルプスの少女ハイジに出てくるクララになったような気持ちになってくる。ハイジは立てないクララを罵ったが、野山を裸足で駆け回る健康優良児世界代表みたいなハイジに何が分かると言うのか。痛みに耐えて立ち上がることがどれだけ辛いか知っているのか。チェーホフの『六号病室』に出てくるイヴァン・ドミートリチはこう言っていた。「苦悩を軽蔑することは、大多数にとっては生活そのものを軽蔑することを意味したでしょう」苦しみは生きることそのものであり、それを否定することは人生を否定することである。あの殺戮マシーンのジョン・ランボーだって、俺の戦争は終わってないと号泣していたではないか。苦痛には叫びと涙で答える、これが人間なのだ!

それでも戦い続けたランボーに勇気をもらいつつ、30分くらいかけてベッドの柵にすがりつきながらなんとか立った。管は排気を促す器械(画像参照)に繋がれており、その器械は点滴棒にぶら下がっている。点滴棒にすがりつつ、徒歩10歩程度のトイレまでの道のりを5分くらいかけて歩く。生まれたての子鹿だってもっとしっかり歩けるだろう。しかし、管を入れた日に歩けたことに無上の喜びを感じた。心の中のハイジも「愚民が立った!」と喜んでくれた。


気胸になると、呼吸をひどく意識するようになる。画像の器械には中央に青い水が入っており、この水は呼吸とともに上下に動く。咳き込んだりするとブクブクと泡立つ。これが動いている間は肺から空気が漏れているということなので、なるべくブクブクしないように注意する。しかし、ちょっと咳き込んだり、トイレでいきんだりすると途端にブクブク鳴り出す。そういう時は連動して傷口も痛む。
一番辛いのはくしゃみをした時だ。リアルに「爆破しそうだよこの胸は」(by.タッキー)状態になり、爆発的な痛みによりしばらくその場で硬直して動けなくなる。器械は泡立ち、思わず「痛い痛い痛い!!」と声が出る。この器械はもはや私の肺の一部であり、人間だったら「愛してる分かってる君(の肺)のこと」と歌ってくれることだろう。なので、この器械のことはタッキーと呼ぶことにした。


管を刺した夜、トイレで一通りの作業をこなしてベッドに戻るころには息切れを起こし、タッキーの青い水は激しく上下に動いていた。しかし、ここで立てたことが自信につながり、次の日からはかなり動けるようになり、前回出たような高熱も出なかった。やはり、多少無理をして動いたことは正解だった。苦痛を乗り越えたところには必ず得るものがある。

ささやかな達成感は得られたが、それはそれとして痛いものは痛かった。

入院1日目

右肺の潰れたレントゲンを見て脱力した。「気胸って何でなっちゃうんですか?」「色々。急に起き上がったり、寝返りでなる人もいるしね」 「入院ですよね」「入院だね」再び脱力した。

私は特に激しく寝返りをした記憶もなかったが、今月は仕事が忙しかったので、疲労が蓄積していたところに、週末の低気圧の影響で肺の薄い部分に穴が開いてしまったのではないかと思う。


とりあえず肺に負担をかけないために、車椅子が用意され、採血とCT撮影と心電図検査を行い、そのまま入院する病室へ連れて行かれた。合間に自宅に電話したが、もはや母も慣れており、「じゃあ手が空いたらいくわ〜」とのことだった。
気胸で入院しても即手術という訳ではない。事情によっては即手術を望む人もいるらしいが、一旦は胸腔ドレーンというものを入れて、肺が膨らむのを待つ。肺は例えるならガラス瓶の中で膨らんでいる風船のようなものらしい。肺に穴が開くとガラス瓶と風船の間に空気が溜まる。漏れた空気を外部から力をかけて抜いて、自然に肺が膨らんで穴が塞がれば治療は終了する。そこで膨らまなければ手術となる。

前に気胸になったのは、つばめグリルでメニューを見ていた時だった。メニューを見ながら前傾姿勢になっていて、起き上がった瞬間に強い痛みを感じて、苦しくて動けなくなった。しかし、しばらく深呼吸したら苦しさはなくなったので、そこから2週間は普通に働いていた。苦しさもあったが、単に仕事が辛いせいだと思っていた。胸のポコポコは飲み過ぎのせいだと思っていた。当時の私は完全なるアル中の社畜であった。
前回は2週間以上放置していたため、左の肺は完全に潰れており、胸腔ドレーンでも膨らまなかった。結局、手術になったのだが、思い出したくないくらいの辛さと痛みに彩られてるので、 今回は手術に至らないことを祈っている。


しかし、手術以前の胸腔ドレーンもめちゃくちゃ痛い。
まず、長さ13cmほどの人差し指くらいの管を胸腔に突き刺す。そして、管がずれないように皮膚に縫い付ける。その管をドレーンバッグという排気を促す機械(初演の滝沢革命のパンフより一回り大きい程度のサイズ)に取り付ける。

気胸が嫌なのは症状も治療もどれもこれもめちゃくちゃ痛くて苦しいことだ。先日心臓の手術もしたが、気胸に比べたら屁のかっぱだった。相葉ちゃんが2度の気胸で引退を考えた気持ちも分かる。 私ももう仕事辞めたい。


管入れは病室で行った。起こされたベッドの上に右手を挙げながら座り、汚れないように右胸の下に何枚も紙が敷かれる。そして、挿入部にマジックで印が付けられ、イソジンのようなもので念入りに消毒された後に患部だけ穴が開いた緑の布を被せられる。この布は感染症を防ぐために完全に滅菌されているので、この上に絶対に腕を落とすなと言われる。
それから麻酔を打たれるのだが、たぶん筋肉注射なので、これがまず痛い。私が痛い痛い言うので、多めに麻酔を打ってくれたようだ。
麻酔が効くのを待って、管を入れる。麻酔が効いていて、痛くはないのだが、強く押される感覚がとにかく苦しくて辛い。体内に異物を取り込むことはものすごい負担になるのだと思う。挿入自体は5分程度で終わるが、全身から脂汗が滲み出る。それから管がずれないように皮膚に縫い付けるのだが、この頃にはほんのり麻酔が切れ始めるので少し痛い。不快な異物をわざわざ縫い付けるという行為自体が嫌で仕方ない。ずっと右腕を上げているので痺れも来る。それを訴えると、控えていた看護師さんが腕をおさえてくれた。

処置が終わるとひたすら安静にするのみ。絶え間なく心拍数と脈拍と呼吸を測るため、心電送信機というものが付けられる。心電図検査の時のようなコード付きのシールを胸に3箇所貼り、指には常に酸素濃度測定の洗濯ばさみみたいなものを挟んでおく。機械はパスポートくらいのサイズなので、動くときは胸にぶら下げる。ちょっとしたデジタリアン気分である。
しかし、本当の苦しみはここからやってくる。麻酔が切れると同時に、管を刺したところが猛烈に痛くなる。長い管が刺さっているため、少し動いただけでも背中に激痛が走る。それが大体2〜3日続く。全身が熱くて寒い。刺さっている半身が重くて、胸の中に冷たい剣山を埋め込まれているような鋭い痛みに絶え間なく襲われる。一応ロキソニンを処方されるがあまり効かない。ただ私はロキソニンを飲むと眠くなるので、眠って誤魔化すことはできる。しかし、2時間もすれば痛みで目が覚めてしまう。ロキソニンは最低でも4時間は間を開ければならないので、ただベッドの上で痛みに耐えるしかない。

ランボー3という映画の中で、ランボーの胴に木が貫通し、それを引っこ抜いたランボーが傷口に火薬を詰め込み爆発させて止血するというワイルド極まりない処置をしていたが、そんなこと私には絶対にできない……となんとなくランボーのことを考えながら地獄のような痛みにひたすら耐えるしかないのであった。

入院前夜

昨日、自然気胸になって入院した。1年4ヶ月ぶり、2回目である。


女性がなりやすい気胸として、 月経随伴性気胸というものがある。子宮内膜症ではがれた子宮内膜が横隔膜に癒着し、肺に穴が開いてしまうらしい。しかし、私がなった気胸は月経とは関係ない。相葉ちゃん、内くん、戸塚さんもなった自然気胸というものである。
上記の方々がなっているため、ジャニヲタはある程度気胸に対する知識のある方が多いと思うが、特に具体的な理由もなく、ある日突然肺の薄い部分が破れて穴が開いてしまうものが自然気胸である。自然に穴が開くから自然気胸というらしい。空気の漏れた肺は風船のように潰れて息ができなくなる。肺は2つあるので、1つが潰れても死なないが、そんな時にもう1つ潰れると死に至ることもある。
気胸は基本的には若くて細くて背の高い男性に多いため、イケメン病なんて言われることもあるが、私は若くもなく細くもなく背は知念様より少し高いくらいの女である。知念様というイケメンを病的に好きではあるが、イケメンではない。病院でも何度も「女性がなるのは珍しい」と言われた。


前回気胸になった時は、ノートに自分の入院記録を書きつけていた。しかし、ノートだといざという時に手元にないと読めない。またネット上には女性の気胸経験者の記録が圧倒的少ない。

自分の備忘録として、また数少ない女性の自然気胸患者の経験談として、今回はネット上に記録を残そうと思う。あくまで個人的な記録なので面白くないし、不快ですらあるかもしれない。ジャニヲタの方は、相葉ちゃんや内くんや戸塚さんもこんな苦しみを味わっていたということの参考にもなるかもしれない。


最初に息苦しいと感じたのは日曜日の夕方だった。うちに宝塚のDVDを見に来た友人たちを駅まで送ったあたりから息苦しさを感じた。ただ、1年4ヶ月前に気胸で手術を受けてから低気圧の日は胸が痛むことも多く、いまいち判別がつかなかった。
想像妊娠ならぬ想像気胸の症状に陥る気胸患者は多い。再発率が高い上に症状も治療もかなり辛い病気なので、少しでも息苦しいと気胸再発の恐怖に突き落とされる。
気胸はレントゲンを撮ればすぐに分かる。肺には血管が張り巡らされており、レントゲンを撮ると血管が白く網状に写り込む。気胸になると肺が潰れるため、肺のあるべきところに黒い空洞が写る。去年の今頃も胸の痛みを感じ、心配になってレントゲンを撮ったが何もなかった。そのレントゲンを見ると安心して息苦しさもなくなる。人間は弱いけれど図太い生き物だと思う。

とりあえず日曜日だったので、その日はそのまま眠ったが朝になっても息苦しさは消えない。再発が頭をよぎり、入院してもいいように最低限の荷物をまとめ家を出た。
しかし、月曜日に仕事中に抜け出して、会社の近くの病院でレントゲンを撮ると肺は膨らんでいた。よかったと一瞬安堵したが、苦しさは去らない。想像気胸だとここで苦しさがなくなるはずである。
なんとなく不安がよぎり、外に出る営業の予定はすべてキャンセルし事務仕事をひたすら行う。鎖骨の下、中央よりやや右寄りのあたりから、かすかだが聞き覚えのあるポコポコという音がし始める。 水槽に酸素を送るポンプのような音、かつても経験した肺から空気が抜ける音だ。まさかと思いつつ、仕事は定時で切り上げ、会社近くの一人暮らしの家ではなく実家に帰った。気胸は悪化すると息ができなくなり、倒れてしまうこともあるので、一人では不安だった。入院していた病院は実家のすぐ近くなので、色々な意味で実家の方が安心だった。smartのDVDを持ってこなかったことが心残りだった。


火曜水曜と普通に仕事をした。だが、外に出るアポはキャンセルするか、上司に任せた。少し話すだけでも苦しくなり、階段を数段上り下りするだけで肩が上下するほどの息切れを起こした。肺が漏れて空気が胸郭に貯まるせいか、あまりお腹も空かなかった。右胸からは呼吸とともに時折ポコポコという音がなる。
夜、寝る時には背中の右側に鈍痛と息苦しさを感じた。仰向けで寝ると背中が痛いので、左胸を下にして横になると息苦しくなり、右胸を下にすると右胸の下の方がひどく痛んだ。結局、仰向けで寝るのが一番マシだった。以前気胸になったのは左だったが、その手術の際に右にも薄いところがあると言われたことを思い出し、やはりまた開いたのでは?と不安になる。だが、じっと眠っているせいか朝になると少し体調は良くなっているので、やはり想像気胸かな?と自分を騙し騙し会社に行った。


水曜の夜になると、まるで気管支を塞がれているような重い息苦しさが絶え間なくつきまとうようになった。平坦な場所を歩くのも辛かった。右肩から背中にかけて、ひどい肩こりのような痛みを感じ、右腕の痺れも出てきて、いよいよやばいと感じ始めてきた。月末の繁忙期なのでせめて今週は休みたくなかったが、このまま倒れる方が迷惑だと思い、最低限ここまでやればとりあえずどうにかなるだろうというところまでやって、木曜日に休みを取ることを願い出た。少し残っていた仕事は上司にぶん投げた。


そして木曜日、入院していた病院に診察を受けに行った。親は楽観視していたが、私は入院準備をしたカバンを一応親に渡しておいた。母からは「自転車で行けば?」と言われたが、そんなことしたら死ぬので、お願いだから車かタクシーで送ってくれと懇願した。結局、父が車で送ってくれた。

9時過ぎに病院に着く。この病院はとにかく待たされるので、最低でも午前中いっぱいはかかると思っていた。実際、待合室は人でいっぱいだった。

しかし、受付で問診票を出すとすぐに呼び止められて、その場で酸素量と脈拍を測られた。太った陽気そうな看護師さんに「脈拍めっちゃ早いんだけど!!」と何度も言われた。確かに少し歩いたので息切れと動悸がしていた。
それから15分ほどで診察室に呼ばれ、まずはレントゲンを撮るように言われた。レントゲンを撮るために着替えるだけでも息が切れる。レントゲンを撮り終え、30分くらいすると再び呼ばれた。
先生が「前回は左だったんだよね?」とおっしゃった。その尋ね方に嫌な予感がしつつ「はい」と答えると、「今回は右です。ほら」とレントゲンを指さした。そこには二回りほど小さくなった右の肺が写っていた。