愚民159

人はただ十二三より十五六さかり過ぐれば花に山風

知念様の一万字インタビューなんて読みたくない

昨日あんなに瞬太くんのお茶くみが好きだと書いたのに、7話では瞬太くんのお茶くみシーンがなかったです。残念。でも、ウインクしているところと、星明子と化しているところがかわいかったので問題ありません。
11/15付の日記も書きました。ただのスラムダンクの感想です。今月は知念様について懐古する予定だったんですが、気付けば自分の人生を懐古しているような気がします。知念様について考えることは自分について考えることなんじゃないかと最近思っているので、自分のことを考えることは知念様について考えることでもあるような気がしなくもないです(こじつけ)。


それはそうと次回の明星の一万字インタビューが知念様らしいという噂があるんですけど、みなさん一万字インタビューは好きですか?好きな人には申し訳ないんですが、私は好きじゃないです。むしろ嫌いです。特に知念様の一万字インタビューなんて絶対に読みたくないです。知念様の愚民なので発売されるなら読まざるを得ないんですが、超絶読みたくない。明星のないパラレルワールドに移り住みたいくらい読みたくない。読むけど。でも読みたくない。読まなきゃいけないんだけど。でも読みたくないのよぅ!と、ついつい「雨の慕情」に出てくる女ばりに逡巡してしまう今日この頃、雨雨ふれふれもっとふれ 知念様の一万字インタビューつれていけ〜と替え歌の一つも歌いたくなるくらいです。

一万字インタビュー自体を否定するつもりはありません。萩尾望都一万字インタビューとかあったら飛びつくと思います。好きじゃないって言ったけど、どっちかと言えば本当は好きです。私が好きじゃないのは若いアイドルの一万字インタビューなんです。


2年前の明星にNYCロングインタビューが載っていたんですが、もうこれが本当にいやだったんですよね。その時の日記(id:ariyoshi:20110612:1307841272)にこんなことを書いていました。

十代の少年少女が抱いているものはとても生々しくて、痛々しい。そんな思いを無理矢理言語化させて、大衆の前に並べるのはとてもサディスティックな行為だと思います。自己意識の高い知念様ですら、かなり無防備に言葉を紡いでいて、まだ自衛の観念が希薄な十代の子どもに大人と同じようにインタビューをしてもいいものなのかと疑問に思いました。

NYCは結成されてようやく2年が経とうとしているユニットです。彼らのおよそ17年の歴史の中で2年というのはとても長い。だけど、本当は2年なんてあっという間なんです。まだ、彼らはそのことを知らないから、NYCの歴史を語ってしまう。そのことはたぶん知らず知らずのうちに彼ら自身を傷付けている気がします。若い子が歴史を語ることは、まるで乾きかけのかさぶたをはがすようです。そこには痛々しさしか感じません。

今も考え方は変わっていません。ジャンプは歴史を語るにはあまりに歴史が浅いと思うんです。こういうのってある程度成功をおさめて、確固たる地位を確立している人がやるべきものじゃないんでしょうか。今のジャンプがやってもちょっと痛々しい気がするんですけど。


そもそも、私はアイドルに本音トークなんて求めていないんですよね。「知念様はこの時こういう風に思っていたのではないか?」みたいなことを考えるのは好きなくせに、本当はどう思っていたか知るのはいやなんです。カツンの「Never again」という曲の「本当のことはそう簡単に話せないよ」という歌詞が大好きなんですが、本当のことなんてそう簡単に話しちゃいけないんです。特にアイドルみたいな人は。


モーニング娘。の「Say Yeah! 〜もっとミラクルナイト〜」という曲が大好きです。私がアイドルに求めているものはこの曲にすべて詰まっているといっても過言ではありません。



もうイントロからやばい。最強感が溢れすぎている。「体重計乗ってなんじゃこりゃ」という女の子の素朴な呟きは、なぜか「夢の扉は絶対自分で開こう」という決意になり、辻加護が「青春を謳歌する諸君に告ぐ!我々は完全に楽しんでいる!さぁ諸君たちもともに楽しもうではないか!!」と宣言したことからヲタが巻き込まれ、最終的には「全員一緒にミラコー!ミラコー!」とみんなでミラクルを起こす一大ムーブメントとなっていくのです。もう意味が分かりません。分かるのはこれを歌っていた娘。たちが最強であることだけです。

この根拠のない万能感となぜか説得力のあるハッタリ感、これこそ私がアイドルに求める最大のものなのです。だから、アイドルには高みにい続けて欲しいし、本音なんて話さないで欲しいんです。

たまに、若いシンガーソングライターの曲紹介とかで「等身大の女の子の気持ちを歌った曲です」みたいなことを言われることとかあるじゃないですか。ああいうのが本当に苦手。自分自身すら持て余しているのに、なんで曲の中でまで等身大とか感じなきゃいけないの?歌を聴いている時くらい等身大とか忘れさせてくれよ!って思いませんか?私は思うんです。等身大の自分を感じるくらいなら、アイドルから生み出されるうねりの一部になりたい。

ジャンプはコンサートになると馬鹿の一つ覚えみたいに「みんなの近くに行きたい」とか言うけど、全然来なくていい。知念様のことは大好きだけど、ヲタに握手するためにステージから降りるのは間違っていると思う。アイドルは近くに来るんじゃなくて、ヲタを高みに引き上げてついて来させるべきなんです。

やっぱりジュニアは滝様のバックにつくことを義務化すべき。そしてデビューまでにリアデラのバックに付くべき。ジャニーズ曲で最強すぎる曲は誰がなんと言おうと「REAL DX」です。あの曲もイントロからやばい。あのピコピコした音が聞こえた瞬間、コンサート会場がリアルでデラックスな空間になるんです。アイドルが目指すべきものはあの空間です。


なんか話が逸れたような気がしなくもないけど、アイドルには高みにいて欲しいから本音トークをして人間らしいところなんて見せないで欲しいし、そもそもジャンプはそんなことができる場所に辿りついてすらいないというのが正直なところです。煙にまいたようなインタビューになってればいいんだけど、知念様ってなんだかんだ言って素直だし、迂闊なところもあるからなぁ。やっぱりまだ早い。あと10年後でいいよ。知念様の精神的最大の転機はNYC結成〜サマリー2010の間くらいにおとずれていると思うので、そのへんのことがスルーされていればまだ読める気がする。そこんとこ、一つよろしくお願いします。

Ride With Me

そういえば新曲が発売になるそうですね!たまにはジャニーズブログらしく情報系のことも書いてみよう。


Ride With Me(初回限定盤1)(DVD付)

Ride With Me(初回限定盤1)(DVD付)


曲の作詞作曲を誰がしているのかを見るのが大好きなので、J○トームのHPから引用して、勝手にどんな曲か予想していこうと思います。

「Ride With Me」
作詞:Staxx T(CREAM)
作曲:☆Taku Takahashi(m-flo, block.fm)/Minami(CREAM)
編曲:☆Taku Takahashi(m-flo, block.fm)
Track Produced by ☆Taku Takahashi(m-flo, block.fm)
Programmed & Mixed by Mitsunori Ikeda(Tachytelic Inc.)

アイドル以外だと岡村靖幸谷山浩子しか邦楽を聞かない私にはよく分からないのですが(タワレコサイトの「エッジーなダンス・チューン」という説明もいまいち分からない)、なんかわりと豪華なような気がします。アイドル×アーティストの曲提供=豪華という公式が昔からありますもんね。私はちょいダサくらいが好きだからあんまり好きじゃないことが多いんですけど、やっとお金をかけてくれるようになってきたってことなんだろうから、喜ぶべきことなんでしょう。でも、なぜか淋しい気もします(淋しい理由はこのへんid:ariyoshi:20100628:1277742768に書いたこととかぶるから割愛)。何にせよ、踊ってくれるのは楽しみ!

「Go To The Future!」
作詞:ma-saya
作曲:清水 昭男
編曲:石塚 知生

私の愛してやまないma-sayaがきた……!!しかも作曲が清水さんだし、編曲も石塚さんだし、外れのない楽しいジャニ曲になるに間違いないですね。ただタイトルからするに、ダークサイドじゃないma-sayaっぽいのでちょっと残念。(ダークサイド:真夜中のシャドーボーイ・NYC、ビター:Your Seed・情熱JUMP・Too Shy、ダークサイドじゃない:スノウソング、他にも色々あるけど思い出せない。)

「GIFT」
作詞:小川 貴史
作曲:加藤 裕介
編曲:牧戸 太郎

加藤さんと言ったらFLY、サムピン、スパデリとわりとアップテンポなイメージですけど、タワレコHPによるとバラードらしいから、Memoriesに冬のにおいをまぶしたような曲になるのかな〜と勝手に予想してみた。小川さんってあんまり聞いたことないけど、嵐によく歌詞を提供している方みたいですね。知念様よかったね!

「School Girl」
作詞:亜美
作曲:Peter Nord / Mats Larsson / Yoko.Hiramatsu
編曲:Peter Nord

わーいアミーゴ(勝手にニックネームで呼んでる)だ〜。アミーゴはロミジュリとか愛ingのような素直にハッピーでちょっぴり胸キュンな歌詞を安定したクオリティで書いてくれるから好きです。これもたぶん問題なく良曲でしょう。

「Hands up」
作詞:Taka Ruscar
作曲:Takuya Harada / Andreas Ohrn / Henrik Smith
編曲:Andreas Ohrn / Henrik Smith

うーんよく分かんない!


というわけで、新たなテイストを加え冒険的になるのであろうメイン曲を、安定の作家陣が作った曲が支える、という感じのシングルになりそうですね。「Ride With Me」は「Beat Line」や「Bounce」の人気を見て満を持して用意した曲なんじゃないかなぁと勝手に思っているのですが、この路線は嫌いじゃないので是非とも成功してジャンプ楽曲の新たな定番路線の一つとなればいいですね。
売れるために、まずは金田一を海外ロケじゃなくて、日本舞台の学園モノとして連ドラ化することから始めよう。金田一にスケールの大きさなんて誰も求めてないということに早く気付いて偉い人。

出世するショタコン

戸塚さんおめでとうございます。戸塚さんとは好きな作家(ドストエフスキー伊坂幸太郎)、尽くしたい男性のタイプ(知念様)、入院した時の病気(気胸)まで同じなので、そろそろ結婚したいです。


時間はあるんだから、毎日日記くらいは付けようと思っているのですが、書くスピードが完全に時の流れに負けていますね……。でも懲りずに11/13にやったことを記録しておきます。
昨日ダイの大冒険を読みながら、私はドラクエ5が好きだったなぁと思い返していました。ドラクエ5は主人公の父親、主人公、そしてその子供たちという三代に渡る壮大なストーリーです。だけど、私が好きだったのはその壮大さではありません。三代に渡るストーリーであるが故に、物語には常に少年要素が存在します。ゲームスタート時の主人公の年齢は6歳、この子がお化け退治をするためにがんばるんです。かわいいですね。最終的には主人公の息子が登場しますが、この子も10歳前後と素敵な年齢です。しかも勇者という宿命を背負いながら健気にがんばるんです。かわいいですね。一番好きなのはヘンリー王子でした。最初は偏屈なわがまま王子だったのに、10年間の奴隷生活(よく考えると壮絶すぎる人生)を経ていつしか主人公の親友になっていく過程がすごく好きでした。

しかし、少年要素に溢れたRPGの名作といえばやはりポポロクロイス物語でしょう。10歳のピエトロ王子(CV高山みなみ)がお母さんの魂を救うために一生懸命戦うアニメチックロマンチックRPGなんですが、とにかくピエトロ王子が健気でかわいくて本当に本当に大好きでした。一挙手一投足に萌えていましたが、仲間が魔法を使う時、剣をわざわざ地面に置いて頭をかかえてしまうところが一番好きでした。戦闘中なのに武器を手放していいの?という気もしなくもないんですが。
というわけで、今日はポポロクロイス物語のプレイ動画をずっと見てました。今見ても綺麗な画面だし、音楽も素敵。それにしても本当にがんばったねピエトロ(泣)


改めて自分の人生を振り返ってみると、ショタへの愛にまみれているんですが、当時は私自身もピエトロ王子とさして変わらない年齢だったから、別にショタコンではなかったんですよね。年を重ねるごとに自分自身は何も変わっていないのに、いやむしろ変わらなかったからこそ、いつしかショタコンと呼ばれるようになってしまったんです。ショタの人ってそういう人が多いんじゃないかな。なんだか出世魚みたいですね。出世魚は「縁起のよい魚として扱われ、めでたい席や門出を祝う席などの料理として好んで使われる」(BY.ウィキペディア)ということなので、ショタコンと呼ばれることもなんだか縁起の良いことのような気がしてきました。これからはショタコンと言われても卑屈にならず、「私って縁起が良い人だと思われているんだな」と前向きにとらえて生きていこうと思います。

81歳の秘かじゃなさすぎる欲望(ジャニーズ伝説・10/6・18:00公演を見て)

そういえばエビ座の公演初日に行きました。本当はあと2回見る予定だったので、内容を自分の中で噛み砕いてから感想を書きたかったのですが、2回目の観劇直前に入院してしまったため結局1回しか見られませんでした。初日から変わったこともあったと思うので、的外れなことを言っていたらすみません。


ぶっちゃけこの舞台、すごくつまらなくなかったですか?私はつまらなすぎてびっくりしたんですよね。たぶんこれはABCがやってたから、なんとかここまで見られるものになったんじゃないかと思う。もうつまらなすぎてびっくりした。あんまり「つまらない」の一言で片づけるのは好きじゃないんですが、本当につまらなかった。

ジャニー原作舞台の新作ということで、すっごく楽しみにしていったんです。しかもジャニーズ伝説ですよ?既に色んな伝説を作ってきたジャニーさんがわざわざ伝説と銘打っているんですよ?期待するしかないじゃないですか。ドリボ、滝沢革命、ジャニーズワールド、どれも初演を見た後は「意味が分かんないけどなんかすごかった!!やっぱジャニーさんってクレイジーすぎるぜ!!!!」と熱病に侵されたようなテンションになり、それから一週間会う人すべてにどれだけその舞台が狂っていたかを語らずにはいられないような謎の高揚感がありました。けれども、ジャニーズ伝説にはそれがまったくなかった。今までの舞台と違ってストーリーは分かります。すごくよく分かります。それが全然ジャニーさんっぽくなかった。唯一ジャニーズっぽかったのは人が死ぬ時に白い花が落ちてきて、床に刺さるところくらいです。舞台装置が日生劇場と帝劇では全然違うんだから一緒にするなと言われたらそれまでなんですが、それを差し引いてもジャニーさんが作った舞台の中で一番パワーを感じなかった。


なんでこんなにもつまらないのか考えていたんですが、たぶん曲のアレンジがほとんど当時のままのせいだと思うんですよね。圧倒的にテンポが遅くてそれが古くさい。だからあれほど歌って踊っているのに退屈なんじゃないでしょうか。先日ぱるるが表紙の『別冊カドカワDIRECT』という雑誌を立ち読み(すみません)していて、その中で「アイドルソングはどんどん高速化していてもはや『LOVEマシーン』なんて遅く感じられるくらいだ」というニュアンスの言説があったんですが、ラブマですら遅くなってしまった現代において1960年代の楽曲なんてもはや界王拳20倍で動く悟空に対するヤムチャくらい遅いんです。

誤解されたくないのですが、私は古いものが好きで、懐メロも大好きで、実を言えばアソシエイションもベスト盤を持っている程度には好きです。この舞台を見た後、十数年ぶりにアソシエイションのCDを引っ張りだして「Never my love」を聞いたのですが、本当にアレンジがほぼそのままなんですよ。
古いものを古いものとして楽しむならいいと思うんです。でも、それを元に新しい作品を作りたいのであれば、それなりのアレンジが必要だと思うんです。そういう現代への気遣いがまったくされていないから、この物語はつまらないんだと思います。


しかし、見ているうちに、このつまらなさにこそジャニーさんのむきだしの欲望が込められているのではないかと思うようになりました。そして私はジャニーさんが心配になったのです。


去年初演を迎えたジャニーズワールドにもジャニーさんの欲望が溢れていました。紫の上のごとく小さい頃から大事に育てた薮くんに自分の役をやらせて、その最期を山田くんに看取らせ、勝利くんがびしょぬれになって半裸で踊り狂う中、天使の格好をしたフマケンに天国まで連れて行ってもらい、死後は若い姿で蘇ってABCに導かれながら一緒にジャンプと宇宙を旅する、これはまさにジャニーさんの理想の死であり、理想の死後の世界に他なりません。あの舞台はジャニーさんが死への恐怖を払拭するための舞台だったのだと私は思っています。そういう主題のもと作られていたからこそ、ちょうどこの舞台の初日と重なった森光子さんの死はジャニーさんに深い感銘を与え、見ている者にとっては蛇足でしかなかった長すぎる追悼コーナーを作ったんだと思います。
その前身としてあったのが、滝沢革命の長すぎるじじいのシーンです。ニッキはともかく、なぜタッキーやゆまたんがじじいに扮しなければならなかったのか。それはジャニーの老いに対する恐怖を払拭するためだったのです。大好きなタッキーもゆまたんもじじいなのであれば、自分がじじいであっても恐れることはありません。むしろお揃いです。ペアルックです。だから、ジャニーズ舞台において、じじいはもはや切り離せない要素となり、ジャニワにおいても山田くんと薮くんがじじいになる羽目になったのでしょう。


ジャニーさんは滝沢革命とジャニワにより、老いと死の恐怖を克服しました。そして人生を振り返ってみて、最後にやり残したことがジャニーズ事務所の原点である「ジャニーズ」の無念を晴らすことだったんじゃないでしょうか。「ジャニーズ」を当時の姿のまま再現し、現代のジャニーズファン、そしてジャニーズの若手たちにそのことを知らしめることがジャニーさんに残った最後の欲望だったのです。

今までの舞台はジャニーさんの欲望の発露であったとしても、最新の楽曲や豪華な衣装・セットをふんだんに盛り込み、訳が分からないながらも見ている側が満足できるエンターテイメント性がありました。だけど、ジャニーズ伝説はジャニーさんの過去のやり直しなので、そのようなアレンジは邪魔以外の何物でもありません。当時の姿にできるだけ近づけることが、ジャニーさんの最後にして最大の欲望だったのです。「ジャニーズ」として出すことのできなかった歌を主題歌に据え、今まで数々の舞台(と書いて欲望と読む)を支えてくれたA.B.C-Zに当時のことを(微妙に都合の良いフィクションを交えつつ)再現してもらい、実際にその曲を発売する。ジャニーさんにとって、これ以上の喜びがあるでしょうか。こうすることによりジャニーさんの最後の無念は昇華されたのです。


終末の恐怖を乗り越え、始まりの無念を昇華したら、人間には何が残るのでしょうか。私は何も残らないような気がするんですよね。「情熱JUMP」に「完璧じゃないから僕らは次にいける」という歌詞がありますが、完璧になってしまったらきっと人はもうどこにも行けないんです。そう思うと、私はこの舞台がジャニーさんの最高の冥土の土産に思えてきて、ジャニーさんがとても心配になってしまったのです。


今年に入って派閥の再編と思える事態が多数発生し、ジャニーさんは一線を退いたという説がジャニヲタたちの中でまことしやかに囁かれていますが、この舞台を見て確かにそうなのかもしれないと思いました。宇宙は膨張し続けているが、ある時点で収縮に転じ、やがて一点に収束してしまうという説があります。同様にジャニーさんの中の宇宙も収縮が始まっているのかもしれません。
ただ、あまりにも宇宙は広すぎて、膨張しているのか収縮しているのかなんてちっぽけなおたくには分かりません。だから、来月から始まるトニトニで「やっぱりジャニーさんの宇宙は広がり続けている!!」と確信できる何かがつかめればいいなぁと思います。


そして、自分がどんなに良いものだと思っていても、過去のものは現代の人にとって退屈なものにすぎないんだなと思いました。興味のない人に自分の価値観の押しつけることを控え、せいぜいブログに書き散らすに留めようと自戒できる舞台でありました。

瞬太くんと知念様

「陰陽屋へようこそ」は入院していたせいで3話以降が見られていなかったのですが、ようやく5話まで見ました。瞬太くんって知念様が今まで演じた役の中で一番知念様が感情移入できている役なんじゃないでしょうか。草平くんに対しては本当に理解不能みたいな態度だったし、隼人くんに対しても「馬鹿なやつ」としか思っていなかった気がします。
馬鹿度合いで言えば、瞬太くんは今まで演じた中ではキングオブおばかさんなんだろうけど、瞬太くんって素直だし、正義感も強いし、基本的に家族とか商店街の人とか周りの人を大切にするじゃないですか。そういうところが知念様は共感しやすいんじゃないかと思います。あと、基本的に年上の人たちに囲まれているという環境もすごく良いです。知念様はインタビューでもよく大人の女の人ばかりのダンス教室でダンスを習っていたお話をされていますが、そういう環境が一番落ち着くんだと思います。知念様が自立した甘えん坊なのはこのあたりの幼少期の体験が根底にあるんでしょう。
公式サイトの南野陽子さんのインタビュー内にあるこのやりとりが好きです。

あのシーン(5話の冒頭で夫に手作りジャムを食べさせてもらうシーン)、(味の感想を)手でバッテン(×)を出すのが監督の演出だったんですが、本番直前に知念くんから、バッテンした手の指先を反らしてって言われて、息子が言うのならとやってみました。でも、そうすると、バッテンじゃなく丸(○)になっちゃうんですけど(笑)。

南野さんにお願いする知念様!!このくらいの世代の女性の方が一番話しやすいんでしょうね。本当に微笑ましいです。南野さんの飾らない人柄も良いんだと思います。二人ともかわいいです。


何より、瞬太くんが捨て子で、しかも妖狐という設定が良いです。瞬太くんはみんなに愛されているけれど、究極的には一人だしみんなと違うんですよね。それが、ジュニア経験のない知念様のジャンプ内での立ち位置とか、運動神経がすぐれすぎているが故に孤独な出し物を強要されてしまうところに微妙にリンクするんです。知念様ってみんなに愛されているし、知念様自身もジャンプのことが大好きなんでしょうけど、絶対的に孤独なんですよね。もうそういうところにもすっかり折り合いがついて落ち着いていらっしゃいますが。
瞬太くんはおばかさんなので、今のところそういう切なさはないのですが、話の展開的にそこに直面せざるを得ない場面が出てくると思うので、それを知念様がどんな風に演じられるのか今から楽しみです。


それと、このドラマでは知念様のあきれ顔がよく映りますが、そのあきれ顔っぷりが容赦なさすぎるので、やっぱり知念様は自分がかわいいなんて本当はそこまで思ってないんだと思いました。だけど、自分の価値のうちの一つとして「顔がかわいい」という要素が大きいことはよく理解しているんですよね。知念様の素敵なところはたくさんありますが、そういう精神的なアンビバレンツさが最大の魅力なのかもしれません。切なかっこいい。

どうでもいい話

お星様ありがとうございます。本当にこういう挨拶、懐かしいですね。
もうここは愚民の跡地なので、少し自分語りをします。どうでもいい話。


入院して、まとまった時間が突如ぽーんと与えられました。ここ数年間は仕事やヲタ活動のせいで時間がないことを理由に何も考えずに生きていました。時間がないから何も考えていないんだと思っていました。だけど、時間があってもびっくりするくらい何も考えませんでした。ただ、2ちゃんねるまとめサイトを読んだりして、ひたすら時間を潰していました。本当にネットって時間を潰すだけなんですよね。そこに何も残らない。

「わたしは空なんです。身ぶり、反射、習慣などしかありません。わたしは自分を満たしたいんです。だからこそ、わたしは人びとを精神分析するんです。」
ボリス・ヴィアン、滝田文彦訳 『心臓抜き』)

もう何度か引用している文章で、私がアイドルを好きな理由はまさにここに集約されているんですけど、入院して改めて本当に自分の中には何もないんだなぁと思いました。これだけ自由を拘束されていても、これをやりたい!!と思えるようなことが何もなかったんです。私は知念様が好きで、本を読むのも好きで、お酒を飲むのも好きで、友達と会うすることも好きです。だけど、これってすべて私の外の物事なんですよね。私の中には本当に何もない。
時間がないということを理由に色んなことを後回しにして、刹那的な快楽を求めて生きてきた結果、本当に空っぽになってしまった気がします。時間が強制的に与えられて気付きました。私は時間があっても何もしない。


自己実現とか、自己成長とか、そういうことを望んでいるわけじゃないんです。ただ、私は自分を保ちたいんです。そんなもの何もしなければ勝手に保てるような気がしていたけれど、実際には水が蒸発していくように自分の中身も少しずつ失われていくんですね。そのことに気付きました。
昔はもっと自分の中に何かが残るように注意深く色んな物事に対峙していた気がします。最近は本当にただ浪費しかしていなかった。
入院に際して、色んな方がそれぞれに優しい言葉をかけてくれて、本当にもっと色んなことを大切にして生きていきたいとしみじみ思いました。
今回入院して一番最初に欲しかったものがノートだったので、まだ少しは何かと残したいと思う気持ちもあるみたいなので、もう少し丁寧に生きていこうと思います。


なんのこっちゃって感じですね。
今日は無事知念様のサタジャニを手に入れて、散歩がてら近くの本屋さんでテレビジョンとテレビぴあを買って、陰陽屋の3話と4話を見ました。知念様のおかげで素敵な一日でした。できたら明日は感想を書きたいです。

自覚

知念様への思いを原動力にがむしゃらに働いていたらうっかり昇格してしまったのだけど、とにかく役職者としての自覚が足りないと怒られまくっていて、自覚といえば最近アイドルとしての自覚についてずっと考えていて、人には偉そうに言うくせに自分はできてないじゃないかと思って、恥ずかしくなった。


知念様はプロのアイドルなので、ついついアイドルとしてどうこうと意見をしてしまいたくなるけど、よくよく考えてみると知念様はようやく20歳になる若者で、私が20歳の頃なんて本当に何も考えずにぼんやり生きていたのに、知念様はもう何年もの間、何万人ものおたくの欲望をあの小さな体で受け止めていて、それでもまだたったの20歳なのかと思うと、知念様が尊すぎて泣きたくなる。知念様尊い