愚民159

人はただ十二三より十五六さかり過ぐれば花に山風

知念様、17歳おめでとうございます(2010.11.30)


なんか、日記の方では緊張してうまく書けなかったので、ここでもこっそりお祝いします。
知念様おめでとうございます。
17歳って独特ですよね。
もう大人とほとんど変わらない自我を持っているのに、携帯電話一つ自分で買うことのできない不自由さ。制服によって均一化された窮屈な世界。
私の通っていた高校は進学校で校則も勉強も厳しかったんですが、ある友人が「この学校は座敷牢みたいだ」と言っていたんです。その友人にとっては窮屈だったんでしょうね。それ以来、私の中で学校って座敷牢のイメージなんです。
私は座敷牢の居心地が結構良くて、その中に閉じこもっているのが好きだったんですけど。知念様も結構座敷牢が好きなタイプだと思うんです。
12月号の明星で知念様が畳の上に丸まって眠っている写真が載っていましたが、まさにあのイメージ。「閉ざされている」ということは、「守られている」ということでもあるんですよね。子どもって守られているんですよ、体制や大人に。
知念様は、不自由さの中に囚われていることの安全性を理解している気がする。そのうち嫌でも出ないといけないことが分かっているから、それまではのんびり眠っていそう。山田くんとかゆうとりんは脱獄しようともがいているタイプだと思うけど(笑)
私は座敷牢の居心地がよかったので、その中に引き込もっていたことを後悔はしていないけれど、その中でもっともがいてみても良かったんじゃないかなぁと時々思うんです。それだって、その時にしかできないことだから。
だから、最近、知念様が友達と食べ歩きをするようになったというのが嬉しいんですよね。依然として知念様はもがきはしないけど、起こされたら起きるようになったんですね。寝ぼけまなこで友達についていって喜んでいるイメージ。
どんどん覚醒している時間が長くなって、もうすぐその座敷牢からも出ちゃうんだろうけど、そうやって世界が広がっていくことは良いことですよね。
丸まって眠っている知念様も非常にかわいらしいと思うんだけど、でも私は動いている知念様がかっこよくて好きです。
なんか何が言いたいのかよく分からなくなってきたけど、座敷牢の中で丸まって眠っている知念様という図になんだか妙な浪漫を感じたので、お祝いにかこつけて語りたいだけでした。

こんなところまで読んで下さってありがとうございます。