愚民159

人はただ十二三より十五六さかり過ぐれば花に山風

芽むしり仔撃ち

芽むしり仔撃ち (新潮文庫)

芽むしり仔撃ち (新潮文庫)

大戦末期、山の奥深くに集団疎開した感化院の少年たちは、疫病の流行る村に置きざりにされ、強制的に閉じ込められる。絶望しつつも懸命に生き延びようとする少年たちの話。少年たちは15人いる。しかし実際に読んでいるとそんなことはすぐに忘れる。基本的に少年たちは「僕ら」あるいは「僕の仲間たち」とひとくくりに語られ、その中で個体性を所有しているのは「僕」と「僕の弟」と「南(名前ではない)」と「腹痛を訴える少年」のみである。
少年たちの個性は不思議なくらい自然に無視されており、彼らが5人でも40人でもまったく支障がない。基本的にこの小説の人物たちには名前が与えられていない。唯一与えられているのは朝鮮人の少年「李」と犬の「クマ」くらいだが、前者は朝鮮人ということを端的に表すための言葉に過ぎないし、犬の名前もあっさり変えられてしまう。名前がないと言ってしまっても構わないであろう。人物たちの個体性のなさは読んでいる側に緊張と不安を強いる。自分とはまったく関係ない出来事だと割り切って考えられず、次第に自分自身も「僕ら」の中に取り込まれていく。
「閉ざされた壁のなかに生きる状態を考える」というのがこの頃の大江健三郎の一貫したテーマであったらしいが、読者も「僕ら」に絡め取られることにより、この壁に圧迫され始める。やがて一人称は「僕ら」から「僕」へと変化してゆく。「僕ら」というその他大勢の中でぬくぬくとしていた読者は唐突に「閉ざされた壁のなか」には自分ひとりしかいないことに気付く。突然付き付けられた事実に呆然としている間にこの物語は終わってしまう。
はっきり言って就活中に読む本じゃない。自分がはめこまれていってるみたいじゃないの(まぁその通りなんだけど)。少年たちが無個性に喜怒哀楽を放棄している中で「僕の弟」だけが異彩を放っていた。彼だけは感化院の少年ではなかったため、素直に喜びや悲しみを表現しており、垢や腐臭で淀んだ世界を不思議な清潔さで照らしている。彼の存在はかなり象徴的。実写にするなら(しなくていいけど)真鳥きゅんがいいんじゃないかなーと思う。圧倒的なピュアネスとどことなく漂う神秘性。
設定だけだとキンキさん主演の「僕らの勇気・未満都市」に似ている。「大人VS子供」という対立もあるし、細かいところでは重なるように思えるエピソードもあるので、意外と参考にしてんじゃないのかなぁ。実際の印象はもちろん「未満都市」とは全然違って、どっちかといえばゴールディングの『蝿の王』の世界。『蝿の王』って最後どうなったんだっけ?
そういえば新潮文庫で読んだのですが、裏表紙のあらすじを最後まで読むとあ〜ら不思議、小説を読まなくても内容が全部わかってしまいました。最近「名作をあらすじで読む」なんて本が流行っているらしいけれど、そんなの買う必要ありません。名作文学の文庫版なら8割方裏表紙のあらすじだけですべての内容が味気なくまとめられています。これ、本当に腹が立つ。名作だからって「〜が死ぬ」とかネタバレすんな(この小説はそういう類のネタバレではないのだけれど)。ただ私が読んだ文庫はISBNがないくらい古いので、今は改善されていたらごめんなさい。

僕らはうまくはめこまれようとしていたのだ。そして<はめこまれる>ことほど屈辱的でのろくさでみっともないことはないのだ。