愚民159

人はただ十二三より十五六さかり過ぐれば花に山風

戸塚さんの少年性

少クラ、噂のイッツ田口ドリームまで見ました。少クラのカメラワークは相変わらずひどい。ここぞというところで戸塚さんはフレームアウトしてしまうんですもの。カナシミブルーの「唇に〜」の部分は全体を引きで映すべきでしょう。あそこでみんながビシッと唇を指差しているのが好きなのに。少クラに限らず、カメラワークが駄目な番組って大体引きのタイミングを間違えている。


それにしても、もし今ドラゴンボールが手元に七つ揃っていたら「少クラの戸塚アングル、おくれ〜〜〜!!」と願ってしまうに違いない。ウーロンのギャルのパンティに対する思いの軽く10フィート上をいっている自信がある。けれどもそれなりに映りこんでいる戸塚さんだけでもかなりときめきホームランな状態です。今一番かっこいいジュニアは戸塚さんかもしれない。今一番輝いているジュニアは戸塚さんかもしれない。


私が戸塚さんに抱いている感情は「少年への憧憬」以外の何物でもない。戸塚さんは私が描く理想の少年像に限りなく近い姿をしている。白くてきめの細かそうな肌、その上をさらさらと流れる黒髪、しなやかで無駄のない身体つきに、すらっと伸びた手足。汗をかいたとしてもペパーミントの匂いがするんじゃないかと本気で思ってしまうくらい戸塚さんは清潔感のある姿をしている。私には弟もいるし、実際に10代の男の子がそんなに清潔なもんじゃないことは百も承知だけれど、夢と知りつつその夢から抜け出せない人のように、私は戸塚さんに理想を押し付けずにはいられない。


以前、私の少年の理想を担っていてくれていたのは生田さんだった。私の中で生田さんと戸塚さんは同じライン上に存在する人で、生田さんの白い額の上を流れるさらさらの茶色い髪に理想を託してはうっとりとしていた。


生田さんが私の中で少年じゃなくなったのは彼が20歳になったときだったと思う。20歳になった瞬間に彼自身の何が変わるわけでもない。けれども社会的には様々な自由と責任が与えられるようになる。私の中で少年というのは「自分ではどうしようもない力に抑圧されている存在」でなくてはならないようで、20歳になってその最後の枷が外された時に私の中の少年は巣立ってしまったのである。


戸塚さんは去年17歳から18歳になり、最初の枷を外されてしまった。だから私は祝福しつつとても寂しかった。けれどもまだ18歳の時と19歳の時がある。あと2年弱、私は彼に夢を見続けていられるのだ。それはきっと私にとっても彼自身にとってもあっという間に過ぎ去ってしまう時間なんだろう。だからこそ、私は彼の一分一秒を惜しまずにはいられない。


だからこそ、私は願わずにはいられないのだ。
「少クラの戸塚アングル、おくれ」と。