愚民159

人はただ十二三より十五六さかり過ぐれば花に山風

昨日の続き

で、なんで私がやっさんをやっさんとかたくなに呼び続けるのかというと、やっさんというあだ名が個人的にあまりかわいくないと思うからです。なんかね、横山やすし師匠みたいじゃないですか。みたいというかまんまなんですが。関西では名前に「やす」がつくとやっさんというあだ名になりやすいんですかね。とにかくやっさんというあだ名はおっさんくさくてあまりかわいくないと思うのです。そもそも「やっさん」と「おっさん」って響きが似ているし。

私の中でやっさんって乙女で天使なマイスイートハートな存在なわけですが、そんなキュートな彼のことを「やっさん」というかわいくないあだ名で呼ぶことに私は無上の喜びを感じます。つまりやっさん自身のかわいらしさと、やっさんというあだ名のかわいらしくなさのギャップに私は萌えているのです。だからやっさんが特に何をしていなくてもただ「やっさん」と呼ぶだけで私のやっさんに対する萌えは発動しているのです。それどころかそこにやっさんがいなくても「やっさん」という言葉を発しただけで、私の胸の中のアクセルがブンブンふかされるのです。僕のブルースは加速してどっかにいってしまうのです。憂鬱が払拭されるのです。だから私は元気のない時とか無駄に心の中で「やっさんやっさんやっさんやっさん…」と呟いたりすることがあります。その名を呼ぶだけで僕は強くなれるのです。