愚民159

人はただ十二三より十五六さかり過ぐれば花に山風

仮面ライダーアギトと3年B組金八先生第6シリーズの失敗

注)これは仮面ライダークウガと金八第5シリーズの信者が書く文章です。アギトと第6シリーズが好きな人は読まない方が良いかもしれません。また、私はまだアギトを8話までしか見ていないので、アギトに対する評価は間違っているかもしれませんし、今後がらりと変わるもしれません。が、基本的にクウガ至上主義、第5シリーズ至上主義の文章ですのであしからず。


というわけで「仮面ライダーと3年B組金八先生比較論」というどこに需要があるのかよく分からない話をします。超長い(4000字弱!!レポートかよ!!誰も読まねーよ!!←ヨネ風ツッコミ)ので隠します。おおまかなネタバレありです。




さっ、というわけで、仮面ライダークウガにはまりまくった私は、最近その次に作られた仮面ライダーアギトを見ています。しかし8話まで見たところでかつて金八第6シリーズに対して抱いたような危機感を持ってしまいました。その危機感について、また打開策について論じたいと思います。


私は金八第6シリーズは失敗作だと思っています。一番の原因は作り手が「前シリーズの呪縛」(もっと言ってしまえば「健次郎の呪縛」)から逃れられなかったせいだと思います。金八第5シリーズは絶妙のバランス感覚の上に成り立った素晴らしいドラマでした。それに対して第6シリーズはバランスを考えず、第5シリーズを超えようといろいろと盛り込みすぎて、広げた風呂敷をいまいちすっきり畳みきれないまま終わってしまった感が強いのです。第6シリーズの失敗を思いつくまま挙げると以下の5点に絞れます。

・前作の主人公と似たような主要人物を据えてしまった(成迫)
・背負っている問題を無意味に重くしてしまった(成迫の過去)
・主要人物を増やしてみた(鶴本直)
・障害を増やしてみた(幸作の病気、校長の交代)
・前作の人気者を出してみた(これが一番最悪だった。健次郎でしゃばりすぎ…)

個人的に、第6シリーズには成迫の過去も幸作の病気もいらなかったと思います。中でも一番いらなかったのが兼末健次郎です。卒業式まで来るなよ!友情の証ってなんだよ!坊主はトラウマだよ!(笑)


鶴本直を中心に据えて生徒一人一人を丁寧に描けば、第6シリーズは名作になったのではないでしょうか?金八先生というドラマの魅力はメインの生徒が背負う問題の重さだけにあるわけではありません。他の普通の生徒が持っているさりげない、けれども本人にとっては重大な悩みにも均等にスポットが当てられていて、生徒一人一人が生き生きと描かれているところが金八の最大の魅力なのです。そういえば第5シリーズは年明けまでにすべての生徒の名前が言えましたが、第6シリーズでは最後まで名前が覚えられない生徒がいたことがかなりショックでした。第6シリーズ、面白い生徒はいっぱいいたんですよね。儀も信太もよかったし、直美と美紀の話もよかったし、ミッチーもおもしろかったし、ツールドフランスかわいかったし、ハセケンとかハセケンとかハセケンとか最高だったし。ハセケンの数々の名言は今でもついつい使ってしまいますもん(「レイディ」「がんばろうジャン!」「バ〜イ・ハセケン」等々)。とにかく「第5シリーズの呪縛」「健次郎の呪縛」にがんじがらめになり名作になれなかった作品、それが私の中の金八第6シリーズに対する評価なのです。


で、話を仮面ライダーに戻すと、アギトは上記の金八第6シリーズの失敗5点のうち、すでに4点まで犯してしまっています(第8話現在)。一つずつ見ていきましょう。

・前作の主人公と似たような主要人物を据えてみた(成迫)
津上翔一は五代雄介、氷川刑事は一条刑事の焼き直しに見える。でもあの二人ほど仲良しさんじゃなくてなんか寂しい…。翔一くんには五代くんほどの求心力もないし、氷川さん(キャナメ潤)は微妙にかみかみだし。すごく、じゃなくて微妙にかみかみだからむしろ気になる。まぁいいけど。キャナメは好き。

・背負っている問題を重くしてみた(成迫の過去)
翔一の記憶喪失(もしや殺人を犯している??)氷川さんもなんたら号事件でなんかありそう。真魚ちゃんもいろいろあるみたい。

・主要人物を増やしてみた(鶴本直)
葦原涼これにあたる。あと仮面ライダーが3体になったことも。まぁG3は入れなくても良い気がする。どうでもいいがG3のおもちゃは売れなかっただろうなぁ…かっこよくないし弱いし。それともこれから強くなるのかな。なんなきゃ悲しい。

・障害を増やしてみた(幸作の病気、校長の交代)
北条刑事の存在がこれにあたるかな。一条さんの時代から警察はずいぶん変わってしまったね…。未確認のころはみんな仲良しさんで楽しかったよ…。杉田さん…桜井さん…笹山さん…本部長…。


(これでアギトにうっかり五代くんか一条さんが出ちゃったら終わりなんですが、まぁそれはないらしいですね。)


まだ8話までしか見ていないので、これからアギトがどのような作品になるのか私には分かりませんが、第6シリーズでまずいと思った点がそのまま見受けられたことに私は危機感を持たずにはいられませんでした。主人公格が3人という時点でちょっと多すぎる。しかもそれぞれの人物同士がまだあまり深く関わっていないので、見ていてもなんとなく物語の印象が散漫です。


ただアギトを見ていて「おっ新しいぞ!」と思えたのが葦原涼(ギルス)の存在です。金八第6シリーズは鶴本直のみを中心に据えるべきだったというのが個人的な意見なのですが、同様にアギトも葦原涼を中心に据えて物語を進めてもよかったのではないでしょうか?というのも「涼」という人物はクウガが踏み込めなかった主題を一身に背負った人物だからです。


クウガが踏み込めなかった主題、それは「自分が異形の戦士(仮面ライダー)に変化してしまうことに対する恐怖」と「普通の人間が異形の戦士に対して抱いてしまう恐怖」の2点です。クウガの主人公である五代雄介は多少の苦悩はあるものの「だって俺、クウガだもん」と割とあっさり自分が変身する体になってしまったことを受け入れてしまいます(いや、本当はもっといろいろ悩んでいるんだろうけど本編にはあまりそういう描写は出てこない)。また周囲の人間も彼の体の心配こそすれ彼のことを怖がる人は一人もいません。この二つの主題は五代雄介という人物の性格上、踏み込めなかったというか、描ききれなかった部分なのだと思います。ただクウガスタッフもそういう主題には踏み込みたかったらしく、上記の二つの主題のうち後者の主題に関しては「EPISODE43 現実」において、一条さんを通して描こうとしていました。まぁでもそれも五代くんのフォローでなんとなく解決してしまうのですが。


葦原涼が変身する仮面ライダーギルスは清潔感のあるアギトと比べると、アンノウン(敵)に近い形態をしています。変身している間も獣の唸り声のようなものしか発しません(アギトやクウガは普通に喋る)。彼自身も自分の変化に怯えているところに、信頼する恩師や恋人にも恐れられた挙句裏切られ、彼は絶望的な孤独状態に陥ってしまうのです。これはクウガが描くことが出来なかった主題です。そのような孤独状態においても人間たちのために命をかけて戦えるのか……この部分を突き詰めるだけでも、アギトは十分深みのある物語になり得ると思うのです。あと謎の少年(神木きゅん!!キャワ!!)の存在も良いです。謎の少年(たぶん敵)は彼に普通に接してくれる唯一の存在であるわけで、「孤独を癒してくれる存在が倒すべき敵であった、という矛盾に葛藤するギルス」とかすげーいいと思います。クウガグロンギ(敵)は絶対悪だったので(バルバはよく分からないけど)、これもまたクウガが描ききれなかった物語だと思うのです。


というわけで、私はアギトの物語は「芦原涼(ギルス)がどのように描かれるか」にすべてがかかっていると思うのですが、どうなんでしょう?


ただ涼の先生も恋人も、離れ方がちょっとひどいんですよね。利己的過ぎるというか。もっと「涼本人のことは好きだけど、だからこそ異形の生物に変わってしまうことが信じられないし怖い」という愛ゆえの苦悩というか葛藤が欲しかった。単に怖がってる離れるだけじゃ駄目だよ。アギトって人間がすごく露悪的というか性悪説的に描かれているような気がします。クウガの登場人物が全員性善説な人間だった分、気になってしまうのです。小沢さんの発言とか結構嫌悪感を持ってしまうんですけど…。彼女は榎田さん的性格の笹山さん的ポジションの人間として描かれているんだろうけど、なんでもズケズケ言えばいいってもんじゃないんだよー。それじゃただの口の悪い女だよー。クウガの女性陣が巣晴らし過ぎた分、なんか嫌だ。これが俗に言われる「井上脚本」ってやつの弊害なんでしょうか?サンプルが少ないので分からないけど。


最後に。作品のことばかりつらつら書いてしまいましたが、大好きだった前作と比べながら見てしまう私自身の主観の問題も多少はあると思うんですよね。やっぱり前の作品が好きな分、評価は厳しくなってしまうし。だ・け・ど!こういうシリーズもののファンって、次シリーズには前作を超えて欲しいと常に願っているんですよ。だって自分が好きな作品に対する評価はもう揺るぎませんもん。その作品を踏み台にしてもっと素晴らしい作品を作ってもらえればそれ以上に嬉しいことはないんです。アギトがどうなるかはまだ分からないけど、金八に関しては第6も第7も失敗だったと思うので、第8があるなら今度こそ第5を超えて下さい!お願いします!センセーショナルにすればいいってもんじゃないんだよ、○○内先生!