愚民159

人はただ十二三より十五六さかり過ぐれば花に山風

失われたやっさんを求めて〜見出された乙女〜

やっさんが天使だった時代は終わりました。
と言うと、一体いつそんな時代が来ていたんだと言われそうですが、少なくとも私の中では「やっさん天使時代」という時代区分が確かにあって、とくに2003年〜2004年にかけては私はことあるごとに「やっさん天使」と馬鹿の一つ覚えのように呟いておりました。ひまわりのごとく力強くも邪気のない笑顔を振りまき、感激するとすぐに泣き、ダンスとなれば無心に踊り、打算なく熱い発言をするやっさんは私にとって「天使」そのもので、そのすべてが当時ジャニーズから離れかけていた私の心を掴んで離しませんでした。『カラマーゾフの兄弟』(最近これしか読んでいないんです、すみません)のドミートリイはこんなことを言っています。

太陽が見えなくたって、太陽の存在することは知っている。太陽の存在を知っているってことは、それだけでもう全生命なんだよ。

同様に私は「やっさんが天使だということを知っている」というだけで、全てのことを知ったような根拠のない万能感に浸っていたのです。
ただ実際にはやっさんは天使ではなく人間でした。いつからかやっさんの言動に滲み始めた作為的な可愛らしさが鼻に付くようになり、その思いは去年の「マジカルサマー」のコンフィティたんで頂点に達しました。あの作られた妖精の無邪気さを私はどうしても我慢することができなかったのです。そうして私の中の「やっさん天使時代」は幕を閉じました。ただこれはやっさんが変化したというよりも(いや、やっさんも変わったと思うけど)、もはや「天使」という宗教じみたものを必要としなくなった私の目が、ようやく現実の「安田章大」という一人の人間を見つめ始めたことが原因だったのかもしれません。
やっさんは天使ではなくなりました。「やっさん天使」という言葉を失った私は、彼のことをどう捉えてよいのか分からなくなりました。その反動で戸塚さんの身体にハァハァしてみたり、文ちゃんにときめいてみたり、山田様を崇拝してみたり、過去の映像を振り返って泣いてみたり、マジレンジャーにはまってみたりと影響は多方面に及びました。
しかし、最近になって転機が訪れたのです。
きっかけはパチレン連載の横山さんの文章でした。私は横山さんとやっさんのパワーバランスは圧倒的に横山さんが上で、やっさんは「横山くんやめて〜や〜」とへらへらしながら困っているイメージがあったのですが、横山さんの文章を見るとどうも横山さんこそやっさんのおかしな行動に戸惑っているようだ、ということに気付いたのです。ヒエラルキーでいえば、横山さんがやっさんの上に位置していることは間違いありません。しかしそんな横山さんを脅かす圧倒的な「何か」をやっさんは持っている。そのことに気付いた私は、再びやっさんの言動に注意を払うようになったのです。
そして運命の時が訪れました。そう、「チンパンジーから男前にメールがきたよ。」で2月20日チンパンジーことやっさんが放ったあのメールです。読んだ瞬間、ジャニーズ舞台お得意の「空から降ってきてなぜか床に突き刺さる白い花」が10000本くらい一気に落ちてきたかのような凄まじい衝撃を受けたのです(こんな感じで)。やっさんが持つ圧倒的な「何か」の正体がやっと掴めたのです。
やっさんから天使を引いて残ったもの。
それは「乙女」という性質でした。
いや、むしろやっさんは「乙女」そのものでした。
今までも私は「やっさん乙女(はあと)」なんてふざけて言ってましたが、そこまで深い考えがあったわけではありませんでした。やっさんが「女の子みたい」と言われることには疑問を持っていましたが、「女の子/女子」という言葉と「乙女」という言葉の間に横たわっている深い溝については特に考えたことがなかったのです。しかし「やっさんは乙女である」という事実に一足飛びに辿りついてしまった私は、「そもそも『乙女』とは何なのか」という疑問に直面してしました。「乙女」とは一体何なのでしょうか?
この疑問を解き明かすきっかけになったのが先日の「レコメン!」におけるやっさんの「欲望」に関する発言です。一度そのことに気付くとスクールカレンダーにおけるエイトメンへのお誕生日おめでとうメッセージからも、やっさんの恐ろしい欲望が透けて見え始めてきました。乙女……それはある欲望の権化に対して付けられた恐ろしい名前だったのです。
大分長くなりましたので、次回「21歳の密かな欲望〜ギターに合わせて恋を奏でましょう乙女の心理学〜」に続きます。

(ちなみに日付のところに入ってるサブタイトルの「YASSAN」と「OTOME」が男性名詞扱いなのはわざとなのでそこんところよろしく!(誰も気にしないだろうけど))