愚民159

人はただ十二三より十五六さかり過ぐれば花に山風

『ヴェニスに死す』〜ショタコンに替わる語を求めて〜

ヴェニスに死す (岩波文庫)

ヴェニスに死す (岩波文庫)

ロリコン」はナボコフの『ロリータ』という文学作品から取られているのに、対する「ショタコン」は鉄人28号金田正太郎くんから取られているなんてバランスが悪すぎる!不公平だ!
というのは随分前から私が腹の中で温めてきた主張です。最近なぜか自分自身「ショタコン」と呼ばれることが多いのでますますこの思いを強くしておりました。確かに私にそういう趣味があるのは多少認めざるを得ないけど、それでも「ショタコン」って言われるのは嫌なの。だって「ロリータ」という言葉にはどことなく哀愁が漂うけれど、「正太郎」という言葉からはオタクのかほりしかしないジャン!なにせ『ファンロード』発祥の言葉らしいし。どうせ呼ばれるなら言葉だけでも重みのあるものにしてほしいと思い、私は日夜「ショタコン」に替わる新しい言葉を模索していたのです。

少年に対する愛を題材とした文学作品で最も有名なものの一つが『ヴェニスに死す』でしょう。「ショタコン」に替わる言葉を探すならこの作品からしかないと思い、気張って読んでみたのですが(薄いけど読むのに疲れる作品だった…)、結果から言うとこの作品は使えないですね。

ショタコン」問題に目を向ける前から、なぜ『ロリータ』から「ロリータコンプレックス」という言葉が生まれたように、『ヴェニスに死す』から「ヴェニスコンプレックス」あるいは「タッジオコンプレックス」という言葉が生まれなかったのか不思議だったのですが、そもそも「成人男性が少年を愛する」ことは「少年愛」として概念としても言葉としてもずっと昔からあるものだったんですよね。題材として真新しいものではなかったので、わざわざ別の名前を付けて強調する必要もなかったのでしょう。単に「『ヴェニスに死す』は現代のギリシア少年愛を描いた作品である」と言ってしまえば良かったのです。

ただ「少年愛」という言葉はあくまで「成人男性→少年」のものであり、そこに女性の入る余地はありませんでした。「成人女性→少年」という概念(思想?趣味?嗜好?)が生まれ必要に応じて作られた言葉、それが「ショタコン」だったのだと思います。『ヴェニスに死す』は典型的な「少年愛」の世界です。ここから「ショタコン」に替わる語を生み出すわけにはいきません。

私の「ショタコン」改造計画は行き詰ったかのように見えましたが、流石は古典的名作です。ヒントはありました。

あの女神は近づく。クライトスとケファロスを強奪し、オリンポスのあらゆる神々のねたみに反抗しつつ、美しいオリオンの寵愛をうけている、あの少年ゆうかいを事とする女神である。

「あの女神」というのはギリシア神話に登場する「曙の女神エオス」のことです。作品中では「あけぼのの女神エエオス」と書かれていますが、「エオス」あるいは「エーオス」と表記するのが一般的なようです。ローマ神話だと「アウローラ」となるようですが(たぶん英語で言えば「オーロラ」)、エディプスコンプレックスだってギリシア悲劇から取られているのですから、ここでもそれに倣ってギリシア神話の「エオス」を使わせていただきましょう。
私は「ショタコン」に替わり、「エオスコンプレックス」という言葉を提唱します!これからは私のことを「ショタコン」ではなく「エオコン」あるいは「エオス」あるいは「曙の女神」と呼んで下さい。「ショタコンめ!」と言われると反論したくなりますが、「曙の女神め!」と言われるならむしろ光栄です。「そうよ!女神よ!おほほほほ!」ってなもんです。
まぁ、言葉を替えたところでなんら本質が変わるわけじゃないんですけどね!