愚民159

人はただ十二三より十五六さかり過ぐれば花に山風

やっさんが

視力矯正手術をしたとかしないとか。私はもともと視力くらいしかとりえがないくらい目が良かったのですが、布団の中で本を読むという悪習慣とネット依存症のせいで両目で0.6くらいに下がってしまって、0.6なんて悪いうちに入らないよとよく言われるのですが、オールクリア(両目1.5)な世界でずっと生きてきた私にとっては0.6ってだけでも脅威の世界です。すべて明瞭に見えないと怖い!と思う一方、私は身体中で最も傷つけられたくない部位が眼球なので視力矯正手術というのは、その響きからもう怖くてしょうがない。どちらの恐怖の方が上なのか。いや、ずっと視力が悪い人にとっては恐怖の問題ではなく利便性の問題なんだろうな。んー何が言いたいんだろうな、私は。とにかくこの手術のおかげでやっさんの人生がより良いものになるなら私は何でもいいです。
話は変わるが、ファンであるかどうかの線引きは色々あるけれど(消費活動等)、もっとも大きいのは情報を能動的に得ようとしているかどうかであるような気がする。最近の私は二次情報しかキャッチできておらず(たまにそれすらキャッチできていないが)、そろそろ潮時なのかなとか思わなくもない。と言いつつ明日滝様の城に行ったら「ジャニーズ最高!」とのたまっているんだろうなぁ。これが最近の思考パターン。
関係ないけど、この頃毎日見ているのは、これ。

かつては辻加護のおだんごを「呪縛」を呼んでいたけれど、これを見ているとおだんご時代の辻ちゃんの最強っぷりがぶりぶり伝わってきて、おだんごはあまりにも強すぎる辻ちゃんのパワーを封じ込めるための手段だったのかなとか思ってしまう。フリーザでいえば第一形態みたいな。「ザーボンさん、ドドリアさん、やっておしまいなさい」って感じ。『はじめてのロックコンサート』の辻ちゃんパートがもれなく切なくて困る。『電車の二人』萌え!梨華ちゃんよっすぃ〜の流れがたまらん!ハロプロとジャニーズを比べたら大体においてジャニーズに軍配が上がると思うんだけど(人の問題ではなくシステム的な面で)、唯一ハロプロで圧倒的に評価できるのは曲のパート割にドラマ性があること。ジャニも曲によってはなきにしもあらずだし、娘。のシングル曲のパート割はひどいことも多いけど(特に辻ちゃんファンにとっては)、ハローのカップリング曲やアルバム曲やユニット曲でのパート割は一人ひとりの個性を尊重したドラマティックなものが多くて、つんく♂さんの愛とこだわりを感じる。タンポポの『I&YOU&I&YOU&I』のパート割が個人的にはものすごくツボで、もうパート割を思っただけで泣けます。