愚民159

人はただ十二三より十五六さかり過ぐれば花に山風

やまとま(2005年12月18日の少クラに寄せる)

い・いつの話…?せめて春一番が吹く前にはあげようと思っていたのに、気付けば春三番くらい吹いてるような。なんとなく時期を逸してあげそびれてました。少クラ共演3ヶ月記念ということで、上に掲示があるうちにどさくさにまぎれてあげときます。書いたのは1月半ばなので体内時計を2ヶ月ほど巻き戻して読んでいただければ……。『電影少女』のあるシーンみたいなことを言ってます。知っている方は苦笑しながら読んでやって下さい。そういえばやまとまって山下さんの方がずっと背が高かった気がするんだけど、この時の少クラでは生田さんの方が大きく見えた。この逆転劇を見守りたかったよ…。




実は私は前評判ほど少クラに期待をしていませんでした。ここのところ前評判通り期待すると肩透かしを食うことが多かったので…。けれども2人揃った瞬間に期待も不安も吹き飛んでしまいました。

私が今までことあるごとに思い返していたやまとまはあくまですべて「過去のやまとま」で、当たり前だけどそこには新鮮さや驚きというような感情はありませんでした。昔のジュニア界を懐かしむ気持ちもないまぜになって、2003年9月以降のやまとまに関する感情はすべて「懐古」でしかなかったのだと思います。過去の映像を見てときめくにしても、初めてその映像を見た時の興奮を記憶の中から手繰り寄せて、それを頼りにときめくしかなかった。結局はどれもこれも懐古でした。
けれども少クラの中には「現在」の、あまりにリアルに輝きを放っている2人がいて、それは今まで過去の中でしか生きていなかった私には衝撃的な光景でした。眩し過ぎて直視するのが辛いくらい。私の中でくすぶっていたやまとまなんてすべてふっ飛ぶくらい、久しぶりの「現在」のやまとまは鮮烈なものでした。

この現象(というか心の動き?)はどんなものに対しても起こるものではありません。逆に「なんか思っていたより大したことない……きっと知らず知らずの内に美化してたんだな」という思いに陥って「こんなんなら見なければ良かった」と思ってしまうことも多いのです。前に読んですごく面白かった漫画を読み返してみたら案外つまらなかったという経験は誰にでもあるのではないかと思います。時の流れというものは意外と容赦がありません。

正直言って、私はやまとまに対してそういう危惧もしていました。シンメの魅力というのはあくまで一緒に仕事をし続けるからこそ磨かれるものであって、もう2年近くまったく別々に違うベクトルの仕事をしていた二人が揃ったとしても、当時の輝きはもう見つけられないのではないかと思っていたのです。けれどもそんな心配は全くの杞憂でした。あの二人が並んだ瞬間、今まで二人の間に横たわっていた時間も空間も、すべて吹き飛びました。着ている衣装がまったく違うにも関わらず、その並ぶ姿には恐ろしいほど違和感がありませんでした。

かつて日記(id:ariyoshi:20050123#a)にこんな文章を引用したことがあります。サモス島のテレクレスとテオドロスという兄弟の伝説です。太字は私が付けたものです。

二人は、一つの聖像をつくるのに、半分ずつ受け持って、それぞれまったく別個に制作したのだが、でき上がった像は、一個所の狂いもなく、完全に組み合わさったのだった。
(『芸術家伝説』)

少クラの二人にもまったく同じことが言えると思います。上記の伝説はエジプトの人体に対する比例理論の正確さを示しているらしいですが、この二人は理論もなにもなく、ただお互いがお互いらしく日々をこなしてきていただけなのに、これほど狂いなく組み合わさってしまったのです。その違和感のなさが恐ろしかった。正直言って、こんなこと知りたくなかった。まだこんなに素敵だと見せ付けられて、これほど盛大に焼けぼっくいに火をつけられて、そしてこの火を私はどこへ持っていけばいいのか。

ギリシア神話にタンタロスという不老不死の男が登場します。彼は罪を犯したために、奈落の底に落とされ水の中につけられているのですが、喉が渇いて水を飲もうとするとその水は退き、頭上になる果実に手を伸ばすとその枝は遠ざかってしまいます。タンタロスは不死身であるがゆえに、すぐそこに望むものを見ながら永遠の渇きに苦しまねばなりません。

これほど完璧に重なり合うということを知りながら、この二人が別々の道で生きている姿を見ていけばならない……それはまるでこのタンタロスの責苦のようです。

最後の「きよしこの夜」で、生田さんは当たり前のように山下さんの隣に並びました。NEWSのメンバーもジュニアも観客も、当たり前のようにそのことを受け入れていました。この当たり前さが悔しい。悲しいよりも寂しいよりも悔しい。誰も彼も認めているのに、環境だけがこの二人を認めていないなんて。やっぱり理不尽だと思う。

そんな感情に見舞われながらも、やっぱり新しいやまとまが見られて良かったと思います。タンタロスと違って、こうやって時たま気まぐれに与えられることがあるんだから望みを捨てちゃいけない。とりあえずまた見られるように少クラにお葉書を書こう。