愚民159

人はただ十二三より十五六さかり過ぐれば花に山風

少クラプレミアム

太一くんの言わんとすることも分かるけど、相葉ちゃんの言う「アイドル」という言葉にはそれなりの覚悟があると思う。相葉ちゃんに限らず、滝つ・嵐以降の世代は「アイドル」という言葉を逃げ道としてではなく、覚悟として使っているような気がする。だって現代って「アイドル」であるだけでちやほやされる時代ではないもの。私は「アイドル」という存在を軽く崇拝すらしているわけだけど、世間一般の「アイドル」に対する反応って冷たいものじゃないですか。軽い嘲笑をともなって「アイドル」という言葉が発せられることの方が多いじゃないですか。「アイドルであるがゆえに得なこと」と「アイドルであるがゆえに損なこと」を天秤にかけた場合、後者の方がより傾くんじゃないかな。10代のうちはそんなこともないかもしれないけど、20歳過ぎたら絶対損なことの方が多いって。そういうことは彼ら自身が一番分かっているような気がするんだよ。それでも彼らは笑っていなければならないんだけど。そんな中で自分たちのことをあえて「アイドル」と断言できることに私は覚悟を感じるわけです。

相葉ちゃんがどのくらい深いことを考えて「アイドル」という言葉を使ったのか分からないけれど(たぶんなんとなく言ってみただけなんだろうけど)、でも決して軽い気持ちで言ったんじゃないと思うんだよね。じゃなきゃ「トップになりたい」なんて言えないよ(24時間テレビで相葉ちゃんが書いた手紙より)。なんて思う一方で、相葉ちゃんにとって「嵐」って「歌手」とかそういう他の言葉で表現できるものじゃなくて、「嵐」「嵐」以外の何者でもないんじゃないかな、と思ってみたり。それが分かっているから「嵐」が何であるかなんてわざわざ考える必要がないんだよ。あえて言うならすべての活動を包括している「アイドル」という言葉が一番適当だと思ったんじゃないかしら。

ともかく、太一くんの言う「アイドル」と、相葉ちゃんの言う「アイドル」という言葉の間に、非常に大きな隔たりを感じました。