愚民159

人はただ十二三より十五六さかり過ぐれば花に山風

ザ☆ピ〜ス!ときっと大丈夫と楽園の我が家

今住んでいる家は人生で3軒目の家だ。一番最初に住んでいた家は古くてぼろくてよく雨漏りがして、大雨が降ると洗面器や鍋を抱えて既におなじみの場所にせっせと置きに走った。水が跳ねないように底にタオルを敷いておくのがポイントである。雨漏り以上にひどかったのが強風に対する耐性のなさで、ちょっと強い風が吹くだけでもひどく揺れる家だった。


台風が来た日には家族みんなで居間に布団を敷いて眠るのが恒例だった。オズの魔法使いのように家が吹き飛んでしまうんじゃないかと本気で心配になるくらいガタガタミシミシとそこいらじゅうの壁やふすまが軋むので、心配性の母は居間でテレビを一晩中つけて台風情報を確認しながらでないと眠れなかったのだ。


そんな母には悪いけれど、私は台風の日が嫌いではなかった。台風に対する恐怖は確かにあったけれど、居間でテレビをつけながら眠るという普段とは違う状況にワクワクしたし、台風に対する恐怖を共有していることから生じる一種独特の一体感が心地良かった。2軒目3軒目と住み替える毎に家は丈夫になっていき、いつの間にか台風の日に家族みんなで居間で眠ることもなくなった。


モーニング娘。の「ザ☆ピ〜ス!」のPVにはメンバーが嵐に立ち向かっているシーンがある。嵐さんの「きっと大丈夫」にも嵐に遭うシーンがあった。大きな脅威は対抗する手立てと共に力を合わせる仲間がいれば、むしろ心地良いものだ。あまりに大きすぎるとただ諦めて、途方に暮れるしかないのだけれど。


で、で、結局何が言いたかったのか忘れてしまった…。先日、鉄の人がカラオケでドリブラを選曲していて、嗚呼この曲には私がエイトに求めていたものがすべて詰まっているなぁ詰まっているどころか溢れまくっているなぁと思ったんだけど、なんかそういうようなことを言いたかったような気がする。ドリブラは本当に名曲。久保田洋司さんは天才。ドリブラを盲目的に信じていたころに戻りたい。今はなんだかすべてに距離を置いてしまっている感じ。


途方に暮れるといえば、「そして僕は途方に暮れる」の歌詞を検索してみたら、めーぐるのことが自然と頭に浮かんできて悲しくなってしまった。めーぐるのことなんて何も知らないのに、めーぐるのことばかり考えてしまう。℃-uteめーぐるがいればなぁああああ。めーぐるの即抱きが見られれば、私はさっきだなんて過去のことも来年なんて先のことも思わず、今ここにある萌えにすべてを注ぐことができるようになる気がする。まさにドリブラを盲目的に信じていたころのように。盲目的になるというのは案外パワーのいることなんだな。


男になってめーぐるのことを好きになりたい。やっぱり男の人の方が正しく女の子のことを好きになれる気がする。私が男になったら絶対キモく愛しちゃうんだろうけど(泣)女はどんなにがんばっても同性愛者でない限りハロヲタにはなれないんじゃないかというのが昔からの持論であり、コンプレックスでもある。少なくとも私は名乗れない。