愚民159

人はただ十二三より十五六さかり過ぐれば花に山風

やっとネット復帰しました

まずアマゾンさんで色々頼みました。
はてなってちょっと見ないといろいろ変わりますね。はてなというハード自体もそうだけど、書き手というソフト面も気付けば変わってるんですよね。私は未だに自分のことを新参ジャニーズファンだと思っているんだけど、もはやそうも言ってられないんですね。

よきさん(このお名前で呼ぶのは初めてですね!)から古いエントリーにトラバをいただいていたようで、ありがとうございます。「アイドルとは物語である」というのは結局は私のアイドルに対する考え方のすべてで、今回の山田様のデビューユニットにはその物語性をまったく感じない(むしろ各ユニットとファンが今まで一緒に大切に紡いできた物語をぶち壊してる)から、なんだか脱力してしまいました。物語というのはそんな大げさなものじゃありません。「このメンバーがぐだぐだ喋っているのが好き」なんてささいなことでも、それは彼らとファンの大切な物語なのです。

以下、2003年のバレーユニのことも書きます。私はどうしても古い物語の信者なので、それと相容れない方は見ない方が良いかもしれません。隠します。




前の時は物語をぶち壊されたことに対して、泣いたり憤ったり絶望したり懐古したりして、そんな時エイトに出会って、彼らの強い物語性に惹かれて……その後のドタバタしててもラブだった模様はこの日記の過去ログに腐るほど書いてあるから割愛しますが、それをもう一度繰り返す気は起きません。今回のユニットがどういう波紋を呼んでいるのか実はよく知らないのですが、前回の時にものすごく厄介だと思ったことがあって、そのことを思うと気が重くなり、脱力するばかりで、その渦中に飛び込む勇気はもはやないのです。

厄介なこと、それは新ユニットが壊されたファンの物語という瓦礫の上に成り立ったユニットであっても、彼らがアイドルである以上、新たに物語を紡ぐファンが必ず現れるということです。今までのユニットのファンと新ユニットのファン(あるいはこの二者を兼ねるファンもいることでしょう)、その間に優劣はありません。ただ新しいユニットのファンには今までのユニットのことは良く知らないという人が多い気がするので、経験や知識の面ではどうしても追いつけないこともあるでしょう。だけどもファンという立場に上も下も、良いも悪いもないのです。新ユニットのファンが作り出す物語も大切な物語であることに変わりないのです。それが厄介なのです。

今までのユニットのファンは自分の物語を続けるために、ただ元のユニットに戻ってくれれば良いと考えます。元に戻るだけ、それで何もかも解決する、そう思うのです。けれども既に新ユニットができてしまっている以上、それは新ユニットのファンにとっては自分の物語を壊されることになってしまいます。覆水盆に返らず、すべてが元に戻るなんて幻想で、それはむしろ悲劇の上塗りなのです。それを思うと、自分が何を望めば良いのか分からなくなってしまうのです。

アイドルに人が求めるものは色々だと思います。私はたぶん「幸せ」を求めています。それは萌えとかときめきとかワクワク感だとか、様々な言葉に形を変えますが、どれもこれも一言で表せば「幸せ」、これに尽きます。アイドルを見ていてマイナスの感情を持つくらいなら、アイドルファンなんて辞めた方が良いと思うのです。だって宗教戦争なんて起こすくらいなら、はなから信仰なんて持たない方が良いと思いませんか?しかもカトリックプロテスタントなんて元を正せばどっちもキリスト教で、どちらも信仰していない者から見れば「同じなんだから仲良くしろよ」なんて言いたくなりますよね。でも似ているからこそ譲れないというのも分かるんです。なんだかね。もやもやしますね。面倒くさいですね。