愚民159

人はただ十二三より十五六さかり過ぐれば花に山風

なんだこりゃあああああ

これは…これは……YAMATOMAじゃないかぁぁぁ!!!!
カウコン、リアルタイムで見た時は眠気に陥落する5秒前くらいの状態だったので、セニョリータを歌う山下さんの隣の人が一瞬生田さんに見えたものの「これは私の脳内が生み出した幸福な幻影よ……これはきっと長野くんよ……」と決め付け、そのまま眠りに落ち、またよみがえって日記を書き、もう一度寝てしまいました。さきほど拍手のコメントを見て「……え?」と思い、すぐにコジマさんの日記を読みに行って(だってそんな重大なこと、コジマさんが書かないわけないもの!)、それから録画していたものを見返して、一度巻き戻してもう一度見て、確認のため更にもう一度巻き戻して見て、そこでそれまで見落としていたものに気が付いて、その光景があまりに私の中の理想のやまとまそのもので、幸せすぎて泣きました。
もし気付いていない方がいたら、「抱いてセニョリータ」の歌が始まる直前に映り込む大スクリーンを見てみて下さい。二人が寄り合ってピース(か単なるアピールなのかは分からないけれど)をしているのが映っているんです。二人の表情は分かりませんが、ものすごく楽しそうなことは伝わってきます。これだけの人数で歌うのに、二人だけが当たり前のように寄り添って、当たり前のように一緒にアピールをし、その二人の光景を当たり前のようにスクリーンが大映しにする……ものすごく久しぶりの出来事なはずなのに、何もかもが「当たり前」のことのように振舞われていて、その違和感のなさに私はもうずっと忘れていた希望を抱いてしまいました。2005年12月の少クラ共演を見た時にはそんな希望は抱けませんでした。ただひたすら悔しかった。こんなに違和感なく並ぶことができる二人を並ばせないことが理不尽に思えて仕方なかった。けれども今ならいけるんじゃないかと思うのです。生田さんは山下さんの隣に並んでもおかしくない地位を築けていると思うのです(正直言って当時は仕事をしている場が違いすぎると思っていました)。
なんてね、色々言いたいことはあるんだけれど、今は何も考えず、小さなブラウン管の中の更に小さなスクリーンの中に映り込む二人の姿をただただ噛み締めていようと思います。何か考えようにも、二人があまりに無邪気に楽しそうだから、なんかもう馬鹿馬鹿しくなっちゃうね。