愚民159

人はただ十二三より十五六さかり過ぐれば花に山風

The Only Living Boy In NYC

今日は知念様のかっこよさにうちふるえた感想を書こうと思っていたのだけど、その前に「NYC boys」って何なの!?(ギリギリ←ハンケチーフを噛み締める音)みたいなことを書いておかないといけないんでしょうか?知念様に出会えた喜びが大きすぎて、このユニットに対して可否を唱えようという発想すらありませんでした。


私が知念様にこれだけハマっておいて、それでもファンであると言えないのはひとえにHey!Say!JUMPのファンになる自信がないからです。私にとって誰かのファンになるということは、そのユニットのファンになるということと同義です。今まで誰かを好きになると、当然のように敷衍的にそのユニットのファンになってきました。けれども、私にはHey!Say!JUMPのファンになる自信がないのです。自信というより、資格がない。JUMPファンになるということは天に唾を吐きかけるのと同じことです。私が今まで執念深く呟いてきた呪詛を自分自身がすべて引き受けることになるのです。そのことを思うと、JUMPよりもいっそNYCの方が気が楽な面もあります。


私はJUMPが好きです。10人揃って歌っている姿を見ているだけで、幸せで泣けてくるくらいには好きです。けれども、JUMPになる前の子たちも好きでした。JUMPは瓦礫の上に咲く花です。その花を愛でる勇気が持てない。瓦礫が目ざわりなら、片付けてしまえば良いのでしょう。けれども、その瓦礫自体が大切な人もいるのです。かつての私がそうであったように。