愚民159

人はただ十二三より十五六さかり過ぐれば花に山風

アイドルとは何なのか?〜知念様へ至る道〜

「わたしは空なんです。身ぶり、反射、習慣などしかありません。わたしは自分を満たしたいんです。だからこそ、わたしは人びとを精神分析するんです。」
ボリス・ヴィアン、滝田文彦訳 『心臓抜き』)

私は自分を満たすものに「アイドル」を選んだ。




昔はアイドルが嫌いだった。アイドルを見ていても、空っぽな人間が空っぽな曲を歌っているようにしか見えなかった。詰め込み教育の只中にいた自分にとって、アイドルというのは生まれ持った容姿だけに依存し、何の努力もしないつまらない存在だと思っていた。ある時、なんの気なしに見たモーヲタの方のサイトを見て衝撃を受けた。なんでこんなに頭の良い人がアイドルなんてものに夢中になっていのだろう?こんなにも多くの人が夢中になるモーニング娘。とは、アイドルとは一体何なんだろう?と純粋に疑問に思った。


自分自身がアイドルに夢中になり、既に8年もの時が流れようとしているけれど、今でも一番最初に持った「アイドルとは何なのか?」という疑問には答えが出せていない。かつてアイドルは空っぽなものだと思っていたけれど、その見方は間違っていないと思う。これも随分前に書いたことだけど、アイドルとは透明なグラスのようなもので、その中身が空なのか、澄んだ水がたたえられているのか、透明な水あめがどろりと詰まっているのか、遠くから見て想像することしかできない。だからこそ、いろいろな思いを託すことができる。
結局のところ、「アイドルとは何なのか?」という問いに対する最も適切な答えは「見る人によって違う」なんだと思う。そんなことは分かっている。分かっているからこそ、自分なりの答えを探したかった。ウラジミール・プロップが魔法物語を機能別に分解した上でその構造を突き止めたように、アイドルに夢中になる感情を分解することによって、自分の中の何かをつかみたかった。


私のジャニーズの入口となったのは風間さんで、アイドルを演じる風間さんは好きだったけれど、彼自身がアイドルとして重要な意味を持つことはなかった。私にとってアイドルとして、初めて重要な意味合いを持った人は生田さんだった。生田さんほどアイドルとしての才能に溢れた人を知らない。

私はすべてのジャニーズタレントの中でも1、2を争うほど生田さんはアイドルらしいアイドルであると公言して憚りませんが、それはこの生田さんの正しさ故なのだと思います。「正しさ」と言いましたが、これは倫理的な意味ではなく(まぁそれももちろんあるけれど)、「自分の立場を正確に把握した上で、的確な表現を選ぶことができる」という意味の「正しさ」です(あるいは「正確さ」と言ってもいいかもしれない)。私はそういう彼の正しさにいつも救われます。
ウエストサイドストーリー日記 - 愚民14歳

生田さんほど自分の願望とファンの願望が重なる人はいないと思うんですが、生田さんのすごいところは「ファンの子がこう思っているだろうからこう言おう」と特に思っているわけではなく、本当に自分のやりたいことを言っているだけなのに、それがファンの願望とぴたりと重なってしまうところだと思うんです。だから私は「生田さんにはアイドルの才能がある」「生田さんは天性のアイドルである」と主張してやみませんし、彼にはそういう形で成功してほしいと思っています。
ジャニーズJrパラダイス19 村上信五 - 愚民14歳


私のアイドル観の根底にあるのは今でも生田さんだと思う。彼の歌もダンスも演技も考え方もすべてが肯定できた。生田さんがCDデビューをしてくれていれば、未だに私は生田さんを通じて、アイドルについて考えていたのだろう。あくまで「CDデビュー」にこだわる生田さんが好きだったけれど、いつしかそれを口に出すこともなくなり、いまや別の形の成功を手に入れようとしている。それはそれで、とても喜ばしいことだと思う。かの金八第5シリーズのちはるちゃんの名言、「おばあちゃんになってもずっと好き!」を捧げたいのは生田さんだけだ。


やっさんについては単純に歌とダンスが好きで、すごく乱暴な言い方をすると、彼自身の思想にはまったく興味がなかった。やっさんは何も考えずに歌って踊ってくれているだけでよかった。アイドルはそういう風に好きになることもできる、というのは一つの発見だった。やっさんに関しては上っ面だけが重要だったが、エイトについてはその中身が好きだった。エイトというユニットが内包する物語性に夢中になった。大学生という世界一暇な人種だったので、「アイドルとは何なのか?」から派生して、ユニットやシンメについても腐るほどいろいろ考えていた。エイトとしての活動が軌道に乗り、やっさん自身の思想があらわになるにつれ、エイトからも距離を置くようになってしまった。


山田様を好きになったあたりから、「アイドルとは何なのか?」ということをあまり考えなくなった。丹下段平矢吹丈という才能を見出し歓喜したごとく、山田涼介という逸材を発見したこと自体に夢中になった。「アイドルとは何なのか?」より「山田様はどこへ向かうのか?」ということが最大の懸念事項だった。山田様は光のごとく突き進み、ある時理想を追い越してからは追うのをやめた。

彼はいつでも私の夢を、理想を、はるかに上回る答えを次々と提示する。「START!」で世界の中心に立ったあの日から世界は回り始め、その無垢でありながら(いや、むしろ無垢であるからこそ)すべてを飲み込むようなダンス一つで、彼は自分自身の位置を押し上げ、のし上がり、仕事をもぎとってきた。「青春アミーゴ」や「Venus」の立ち位置、滝沢演舞城における山田様オンステージ、それらを見た時、私の夢の手持ちはなくなった。「夢>現実」という状況しか知らなかった私にとって、「夢=現実」となった現状はあまりに非現実的で、それはまさに永遠のスープに差し込まれる突然の明るさのように私を驚かせながらも喜ばせた。
来たるべき日のことを思う - 愚民14歳

戸塚さんはアイドルではなかった。戸塚さんを見る時、私はいつも心の中に、初めて少クラで「No Control」を披露した17歳の戸塚さんを思い浮かべていた。17歳の戸塚さんはドリアン・グレイのごとき存在で、言うなれば私のミューズだった。直接的にどうこうという話ではないが、ドストエフスキーをはじめとする文学作品を再読するようになったのは、戸塚さんのおかげなんだと思う。
山田様や戸塚さんについて考えることは、私の中で「アイドルとは何なのか?」という問いとは交わらないもので、しばらく私はこの疑問自体忘れてしまっていた。


そんな腑抜けたアイドル探求道に活を入れるごとく、彗星のごとく現れたのが知念様である。「おおきくな〜れ☆ボク!!」の歌詞と演出に度肝を抜かれ、彼の思想に触れるたびに冷たい清流に足を浸すような鮮烈な感動を覚えた。生田さんの「自分の立場を正確に把握した上で、的確な表現を選ぶことができる」ところに最大のアイドル性を見ていた私にとって、自己認識能力が異常に高い知念様は久しぶりに出会った「正統派アイドル」だった。


このところ、知念様について書きたくても、何をどう書けばよいのかがまったく分からず、とまどっていた。山田様や戸塚さんに対するようなアプローチで迫ると、知念様はするりと手のうちから逃れていってしまう。
けれども分かった。きっと知念様は知念様としてではなく、「アイドル」として語るべきなのだ。


これが知念様を見出して、半年かけてやっと辿り着いた私のスタートラインです。これからも色んなジャニーズの方を好きになるでしょう。けれども「アイドル」として好きになるのは、知念様が最後のような気がします。これから、知念様を通じてアイドルをめぐる最後の旅に出たいと思います。