愚民159

人はただ十二三より十五六さかり過ぐれば花に山風

知念様へのお手紙

見ることには愛があるが、見られることには憎悪がある。


安部公房箱男』)


昨日部屋を掃除していたら、高校生の時分に書いた読書ノートが出てきました(私は中高生の頃、読んだ本や見た映画の感想をすべて書き留めていたのです)。それをパラパラめくっていたら、『箱男』のこのフレーズが書き写されていました。知念様はこの言葉をどう思いますか?NIN×NINの時の知念様は確かに見られることを憎悪していた。今の知念様はどう思いますか?知念様にとって「見られる」とはどういうことなのでしょうか?
自分のことを「ゆうり」と呼んでいたあまえたがりの「知念くん」が、今の周到な「知念様」になったきっかけは、このあたりの意識改革ではないかと思うのです。