愚民159

人はただ十二三より十五六さかり過ぐれば花に山風

山田くんのI LOVE YOU

昨日は夜中まで山田くんのことを考えていた。私はかつて山田くんが大好きだった。ダンス一つでのし上がっていく姿に感銘を受け、「山田様」と呼んで崇拝していた。けれども4年前、山田くんの「探偵学園Q」の出演が決まってから、私は彼と距離を置くようになった。その時の日記(id:ariyoshi:20060610:a)に「あしたのジョー」の台詞を引用している。

ただ・・・・
ただわいが気がかりなのは・・・・


ジョーが一つ一つ
おそろしいパンチをおぼえていくたびに・・・・


ジョー自身も一つ一つ・・・・


ふ・・・・ふしあわせに
のめりこんでいくような気がすることや・・・・


(原作:高森朝雄、作画:ちばてつやあしたのジョー』)


たぶん彼は4年前のこの時から、まったく歩みを止めずに上昇し続けている。山田くんはどんな仕事でも全力投球で、仕事を終えるたびに成果を持って帰ってくる。その姿はまるで次々と強いパンチを覚えていくジョーのようだ。ジョーのように「ふしあわせにのめりこんでいる」とまでは思わない。けれども、山田くんの手にしてきたものが、山田くんの大切な何かを侵しているような気がしてならない。
たとえば山田くんは馬鹿の一つ覚えみたいに「きれいなままのジャンプ」「素直なままのジャンプ」でありたいと語っている。けれども、皮肉なことにHey!Say!JUMPというのユニットの均衡を崩しているのは他ならぬ彼自身だ。彼がのしがっていくことが、このユニットの形をどんどんいびつなものに変えていく。


天国ツアーでは毎回山手線ゲームをやっていた。間違ったメンバーへの罰ゲームは「次の曲の間奏で、一人で愛の言葉をファンに言う」というものだった。この年頃の男の子にとって、愛の言葉を公衆の面前で囁くことは罰ゲームに等しい。
私がジャンプコンに行くようになって一番驚いたのは、コンサートのお約束になっている山田くんの愛の言葉だった。初めてコンサートで見た時の山田くんは、ファンのことを無表情な目で見下ろす不器用な少年だった。その子が笑顔で何万人ものファンの前で「I LOVE YOU」を言えるようになった経緯を思うと、そら恐ろしいものがある。去年は山田くんの「I LOVE YOU」をたくさん聞いた。「瞳のスクリーン」に至っては、間奏に取り入れられているので、たぶんこれからテレビでもたくさん見ることになるんだろう。


多感な少年に公衆の面前で「I LOVE YOU」と言わせるのはとてもサディスティックな行為だと思う。同様の理由で「Romeo&Juliet」もとてもサディスティックな歌だと思う。あの年頃の男の子たちに、あんな格好で「僕はロミオ」と歌わせるなんて狂気の沙汰としか思えない。けれども、この曲に関してはメインボーカルの知念様が納得してやっているので、そこまで罪悪感はない。知念様は解釈する人だ。どんなに少年としての自尊心を踏みにじるような演出を用意されても、解釈して、納得して、自分が飲みこめる形にしてから飲みこむお方なんだと思う。そんな知念様が先陣して突っ走ってくれているので、この曲はセイロガン糖衣Aのごとく安心して飲みこめる。まぁ中身は正露丸なんだけど。知念様自身そういう感じの方ですよね。そう、薬で例えるなら知念様はセイロガン糖衣A。


反対に、山田くんはとりあえず飲みこんでしまう人なのだと思う。目の前に来たものは全部丸飲みして、その結果消化不良を起こしても、必死で歯を食いしばって、一人で耐えて乗りきってしまう。なんとなく、この人は毎回消化不良を起こしているような気がする。そうして、自分の中の何かを削って、なんとか丸飲みしたものの置き場を作っているんじゃないだろうか。山田くんが「I LOVE YOU」を言えるようになって、失ったものは何なのだろう?


私はずっと「山田様」と訣別できなかった。ただずるずると惰性的に「山田様」と呼んでいた。けれども、「探偵学園Q」の最初の放送から3年半経ち、山田くんの内面について考えることができるようになって、ようやく山田様と訣別できそうです。さようなら山田様、こんにちは山田くん。


これからの活動が、山田くんに何をもたらして、何を奪っていくのかは分からない。何もかもを全部一人で背負いこむんじゃなくて、少しずつ咀嚼したり、誰かと分け合うことも覚えていってくれればなぁと思うけど、それができないことが山田くんを山田くんたらしめているような気もする。だったら、いっそ丸飲みし続けるのもいいのかもしれない。それでお腹が痛くなってしまったら、その時は一人で耐えるのではなくて、セイロガン糖衣Aを飲んでみて下さい。