愚民159

人はただ十二三より十五六さかり過ぐれば花に山風

切なさの向こう側

代々木から名古屋までの間、ずっと知念様の切なさについて考えていて、実際に書いてもみたんですけど、これを書くことによって私自身がすっきりするだけで、知念様のプラスにはならないような気がしてきました。私は知念様のプラスにならないことは一文字だって書きたくないし、そもそも知念様が表に出していない切なさを勝手に勘ぐるという行為自体に罪悪感がある。
知念様が白いと言うなら黒いものでも白い。知念様が楽しいと言うなら、それは楽しいことなんです。
私のやろうとしていることは見当違いな手品の種バラシで、間違っている上に場を白けさせてしまうような気がします。


知念様が好きなものはきちんと好きだと、欲しいものはきちんと欲しいと言えるようになれれば良いなぁと勝手に願っております。これだって私の妄想なんですけど。
余談ですが、いま空前のいのおくんブームが来てます。知念様がいのおくんに向ける視線の意味について考えていると未来は明るい、ような気がしないでもない(笑)