愚民159

人はただ十二三より十五六さかり過ぐれば花に山風

切なさの向こう側から一周して戻ってきました

最近知念様はコンサート中に時計をしていらっしゃるのですが、あれを見るたびに「なーぜあなーたが時計をちらっと見るたび泣きそうな気分になるの〜〜〜〜?」と歌いたくなります。私の春色の汽車はワンダーランドトレインです。


水曜日のラジオを聴いて、私の中の切なさフォルダが火を吹いてしまったんですけど、ある方からのメール(勝手にネタにしてすみません)を読んでむしろあれは安心すべき発言だと気付き復活しました。そうですよね。一緒にいるんですもんね!ああ、意味が分からない人にはさっぱり分からない話ですみません。そのうちラジオ感想も書きたいです。

滝つ曲に「愛シタガリ」という曲があるんですけど、私は「切ナガリ」なんですよね。人が感動を求めてお涙ちょうだい映画を見るように、私は切なさに胸をかきむしる行為に快楽を感じてしまうので、ついつい世界中(っていうか知念様中)の切なさをかき集めてしまうんです。山田くんの切なさとかたまんないんですよね。あれはもはや一種のエンターテインメントです。ここのところ、知念様の切なさをかき集めすぎて、若干胃もたれを起こしていたのですが、ここでダークホース伊野尾が登場し、私の中の切なさフォルダが今までにない盛り上がりを見せています。伊野尾、いいんじゃない?いーのおっけい!!

少し前まで、知念様はもう人生引き算でいいんじゃないかと思い始めていたんじゃないかと思うんです。雑誌で「茄子は一生食べられなくていいです」とおっしゃっているのを見て、「ああこの人はもう自分の人生から無駄をそぎ落とす作業に入っているんだなぁ」と思ったんです。何を隠そうこれは私自身が思っていたことで、もう私の人生には何も足さなくていいなぁと思っていたんです。これからの人生は今まで手に入れてきた好きなものにだけ囲まれて、あとは無駄なものをそぎ落とす引き算の人生でいいと思っていたんです。そんな中で知念様にお会いして、引き算どころか猛烈な足し算人生に突入してしまったわけですが。
私が知念様にお会いして、自分の中の世界を広げることに再び興味が持てたように、知念様もここに来て自分の世界を広げることに少しだけ興味を持ち始めたんじゃないかと思います。そのきっかけが何なのかは私には知る由もないのですが、それはとても健康的なことで、私はそのことを祝福したい。


そんな知念様に歌ってみて欲しい曲は℃-uteの「大きな愛でもてなして」です。



この曲の

私分かったの さみしがり屋だと

というフレーズを聴くたびにはっとします。知念様も自分がさみしがり屋だってことがようやく分かったんじゃないでしょうか。「知ってる」と「分かる」は違いますよ、知念様。知念様は「かわいい」と言われると「知ってる」と答えますが、分かってはいないような気がします。同様に今までは自分がさみしがり屋だと知ってはいても分かってはいなかったんじゃないかと思います。みんなの大きな愛でもてなされて、健やかに成長していただきたいものです。