愚民159

人はただ十二三より十五六さかり過ぐれば花に山風

中間子としての知念様

知念様、お元気ですか?私は駄目です。全然駄目です。何が駄目って知念様が好きすぎて駄目なんです。もう気が狂いそうです。雑誌が読めません。スクール革命が見られません。Mステをリピれません。いただいたDVDも再生できません。会報が届いているけれど封を切る気もしません。ツイッターを見るのすら辛いです。とにかく、自分の中に知念様が溢れすぎて、私の小さな脳内にはもう新しい知念様を受け入れる容量がないんです。タッキー風に言えば爆破しそうなんです、この胸が。このままだとサマリーに行ける気がしません。アルバムだって聴けません。

なので、しばらく世の中の流れを何もかも無視して、この半年くらいのうちに知念様について考えたことをひたすら書こうと思います。ラジオレポもコンレポも書きたいんですけど、とにかく私の中の知念様をどうにかしないとどうにもならないんです。本当はもっと体系的に書きたかったんですけど、そんな余裕がないので細切れに、断片的に書きます。落ち着いたところで、まとめられればと思います。


まずは私が去年の冬にずっと考えていた、知念様がJUMPの中で背負っていた役割についての話です。これは私がここ数年ずっと考えていた「アイドル内のこども」にも通じる話です。


アイドルユニットに必要なもの - 愚民14歳
最近のマイブームは知念様です - 愚民14歳


忠告しておきますが、とても長い上に、たぶん私以外誰も面白くありません。普段は知念様の素晴らしさを伝えるために、分かりやすくかつ面白おかしく書こうとこれでも努力しているんですが、この文章に関してはまったくそういう努力をしていません。完全なる自己満足です。私、本当に毎日こんなことしか考えていないんだけど、これでいいんでしょうかね、知念様……。




去年から今年にかけてのJUMP冬コンで一番印象に残っているのは、MC中にせっせとメンバーに水を配って回る知念様の姿でした。私はこの知念様の姿を見て、湯川秀樹博士の中間子論を思い出していました。
と言っても、私は根っからの文系人間で物理学に関してはまったくの門外漢です。中間子論もほんのさわりしか知らないので、たぶん間違ったことを言っていると思います(そのあたりはきちんとした知識をお持ちの方がいらっしゃったら是非ご指摘ください)。けれども、私にとっては重要なのは正しく中間子論を理解することではなく、知念様を理解する上でこの「中間子」という物質の性質がとても都合がよいということなのです。


簡単にこの「中間子」というものについて説明します。読むのがめんどくさければ、以下のサイトで非常に分かりやすく解説されているので、これだけ読んで適当に読み飛ばして下さい。


http://www.kek.jp/newskek/2007/janfeb/yukawa.html


物質をその物質の性質を残したまま一番小さくなるまで分けたものを「分子」と呼びます。たとえば「水」は「H2O」という「分子」が無数に集まったものです。この水の「分子」は「H2」という水素分子と「O」という酸素分子が集まったもので、更にこの「分子」を分けると「原子」になります。「H2」という水素分子は「H」という水素原子が2つ集まったものなのです。この「原子」は更にマイナスの性質を持つ「電子」とプラスの性質を持つ「原子核」に分けることができ、「原子核」は更に「陽子」と「中性子」に分けることができます。図解するとこうなります。

物質 → 分子 → 原子 → { 電子 + 原子核 ( → 陽子 + 中性子 )}

簡単に言えば、「原子」というのはマイナスの性質を持つ「電子」とプラスの性質を持つ「原子核」が集まったものです。そして「原子核」は更にプラスの性質を持つ「陽子」と電気を帯びていない「中性子」に分けることができます。


この「電子」と「原子核」はマイナスとプラスという正反対の性質を持っているため、電気的な力、要するに「電磁力」が作用して結合します。正反対の性質を持っているからこそ引き合う、というのはなかなかロマンチックな現象だと思います。ちなみにこの「電磁力」は「光子」という物をやりとりすることによって発生しているらしいのですが、「コウシ」ではなく「ミツコ」と読まずにいられないところに自分のジャニヲタとしての業を感じます。この分子をJUMPに当てはめるのもなかなか面白い作業なのですが、話が進まないので今回は触れません。


さて、ここで問題になってくるのが「原子核」の中身です。「電子」と「原子核」は正反対の性質を持っているが故に引き合います。けれども、「原子核」の中にある、電気的にプラスの「陽子」と電気を帯びていない「中性子」は何故くっついていることができるのでしょうか?湯川博士はこの二つを結びつける力を「核力」と呼びました。この「核力」はいかにして生まれたのか?
そこで湯川博士が考え出したのが「中間子」という新しい粒子でした。「陽子」と「中性子」は「中間子」という未知の粒子をキャッチボールのようにやりとりすることにより、その性質を変えながら強く結び付いているのではないかと考えたのです。


もう一度言います。「陽子」と「中性子」の間を飛び交うことによって、性質的に結びつくことのない二者を結びつけるもの、それが「中間子」です。


ここでやっと話は知念様に戻るのですが、私はペットボトルを持ってメンバーの間を飛び交っている知念様を見ていて、「中間子」という言葉がふと浮かびました。冬コンの時、ゆうとりんや高木はメンバー内では若干浮いているように見えました。圭人もまだ溶けきってはいなかったかもしれません。そんな彼らをJUMPに結び付けるべく、知念様は彼らの間を動き回っているように思えたんです。

「JUMPのこどもは誰なんだろう?」という疑問をずっと抱いていました。最年少はもったんです。だけど、もったんは私が思い描く「こども」とは違うものでした。私にとって「アイドル内のこども」とは、皆から一様に愛され、本人も愛されることを当たり前のように受け入れることによって、メンバー同士を有機的に結びつける存在でした。そして、その役割を果たしているのは、メンバーの膝の上を飛び回り、「かわいさ」を惜しげもなく振りまく知念様に他ならないような気がしていました。

けれども、「こども」と呼ぶには知念様の無邪気さは作為的で、本当に幼かった頃ですら、なんとなく「こども」を演じているように見えました。高校生となり、ますます強い自我を持つようになった知念様には「こども」という「状態」よりも、「中間子」というれっきとした「役割」を持った言葉で表す方がふさわしいように思えました。


知念様の強くなっていく自我を好ましく思う一方、どうしようもない喪失感も抱いていました。冬コンは「中間子」である知念様の「発見」の場であると同時に、「こども」だった知念様の「喪失」の場でもありました。そんな知念様に抱いた喪失感の象徴となった曲が「ワンダーランドトレイン」でした。


というわけで、次回「ワンダーランドトレインを歌っていた男の子はもういない」に続きます。


参考図書

目に見えないもの (講談社学術文庫)

目に見えないもの (講談社学術文庫)