愚民159

人はただ十二三より十五六さかり過ぐれば花に山風

KAT-TUN NO MORE PAIN WORLD TOUR 2010(7/24・18:00開演・東京ドーム)

私はカツンというユニットには執着も思い入れもないので(元4TOPSファンとして同じ時代を駆け抜けた仲間という意識はある)、単なる部外者の断片的な雑感です。




週刊少年ジャンプで『デスノート』の連載が始まった時、「これはすごいピカレスク漫画になるんじゃないか!?」という期待でワクワクした。同じようにカツンのデビューが決まった時、「これはすごいピカレスク・アイドルになるんじゃないか!?」とワクワクした。


良いコンサートだったと思う。仙台で見た時よりも適度な緊張感があって、メンバーはのびのびとコンサートを楽しんでいた。最後の方にメンバーがファンに向かって「隣の人と手を繋いで」と言ってきて、「この人たちはこういうことがやりたいのか」とちょっとびっくりした。『デスノート』の主人公は結局は死んでしまったし、カツンは自分たちもファンも平和的に繋がっていくことを望んだ。ピカレスクの実現はとても難しいことなのだろう。少しだけさみしい気もしたけれど、仲良きことは美しきかな、とも思う。少なくとも亀梨さんの本質はこちら側なんだろう。


最後のあいさつで、亀梨さんが「カツンでいれて幸せです」と2回くらい言ってて、一時期山田くんが「幸せ」を連呼していた時にも思ったんだけど、「幸せ」とわざわざ口に出す人は心のどこかで幸せの終わりを予感しているような気がする。「幸せなら手をたたこう」という歌があるけれど、あれは真理だ。幸せなら態度で示せば良くて、口に出す必要はない。幸せが手の平から零れ始めた時、人は噛み締めるように「幸せだ」と口にする。「コンサートができたこと」や「ファンに会えたこと」という「点」に対する幸せの表明は別に良いけど、「カツンであること」という「線」に対する幸せの表明には不安が残る。別にカツンの幸せが終わるんじゃないか、ということが言いたいわけじゃなくて、ただちょっぴり亀梨さんのメンタルが心配だなと思った。


それにしても聖は優しい。本当に優しい。今日もおたくの人に散々言ったけど、カツンの半分は聖の優しさでできてる。一人でシャワーに行くのがさみしい上田くんにいつもついていってあげる聖。今日は「FIRE BEAT」の時に宏光が舞台から落下してしまったんだけど(後で元気そうに踊ってました)、ファンに「(北山が心配で)ちゃんと聴けなかったんじゃないか?」と尋ねてくれる聖。本当に優しすぎる。私がカツンファンなら、毎日「聖切ないキャンペーン」を始めてる。


あと宏光不在でも歌い続けるキスマイに「Show must go on」の精神を感じて、胸が熱くなった。


まとまりないけど、書きたかったこと終わり。