愚民159

人はただ十二三より十五六さかり過ぐれば花に山風

サマリーの知念様を見て思ったこと(ちねんさまのいちねん)

今日は木曜日、ラジオ当番の発表の日ですね。前回騒ぎ過ぎたので、今回は静かに迎えてみました。来週KCラジオが来たら、毎回感想を書かないといけないし、来なかったら(いやそんなわけないはずなんだけど!!!!)水道橋駅を出たところにあるセブンイレブンの前でKCラジオ円滑化法案について演説しないといけないし、何より仕事が繁忙期に突入していて、このままだと忘れてしまいそうなので、今のうちにサマリーの知念様について感じたことを書いておこうと思います。

最近「知念様好き」以外の感情が邪魔になってきました。今まではコンサートに複数回行けば、メインよりバックのジュニアが気になって、気付けばバック担のようになっていることが多かったのですが、今回は本当にずっと知念様のことを見ていました。これほどまでに好きになれる人ができて、私は本当に幸せです。
そうしてこの夏、気持ち悪いくらいずっと見ていて思ったこと。




ぼんやりと去年のことを考えていました。去年の夏といえば天国コン、白い貴公子然とした衣装をまとって颯爽と鞭を振り回す知念様にときめいていたものです。そんな天国コンで私が毎回楽しみにしていたのが「知念様のNYCやる気度チェック」でした。NYCにおける知念様のダンスがあまりにテキトーなので「今日はやる気3%」「今日は10倍、30%!」というふうに勝手に採点をしていたのです。といっても、「YOU&YOU」は毎回全力だったし、全体を通してみれば知念様のモチベーションは基本的には安定しています。だからこそ、NYCにおけるやる気のなさが面白くて、そんな気まぐれオレンジロードな知念様にグッときていました。何が言いたいのかと言うと、去年の知念様には日によってやる気やパフォーマンスに多少のブレがあったということです。
今年のサマリーでは、知念様は常に安定したパフォーマンスをなさっていました。「体調が悪いのかな?」という日はありましたが、「今日はやる気がないな」と思う日はありませんでした。そして知念様は穏やかに微笑みながら鬼のようなファンサービスを実行していました。


この夏、友達とドームホテルに泊まった時にデビューからスクラップティーチャーあたりのJUMP映像を見ていて、「この山田くんはまだ背負ってないね」「うん背負ってないね」みたいな会話をしていたのですが、山田くんの隣でにこにこしている知念様も今よりももっと自由でのびのびとしている気がしました。
私はこの手の話になるとついつい山田くんのことばかり考えてしまうのですが、山田くんが台頭するようになって、併せて知念様もセンターに近い位置に押し出されるようになりました。ただ単に小さいから真ん中にいた時代とは違い、明確な狙いと使命を持って立たされていることに聡い知念様が気付かないわけがありません。
当たり前だけど、知念様も背負っているんですよね。ただ、山田くんの背負い方が華々しいのに対して、知念様の背負い方はとても分かりづらい。それはたぶん知念様自身がそう見られることを望んでいるからです(じゃあ山田くんは背負っているように見られたがっているのかというというと、それはまた別のお話)。だから、こういう風に勘繰ることはファンとしてあまり良くない行為なのかもしれません。だけど考えずにはいられない。このアンビバレンツは春コンの頃からずっと抱いているものです。好きになればなるほど、理想的なファンからは遠のいてしまう。


今年の春コン、私は知念様を見ているとなぜか切なくてしょうがありませんでした。知念様が自分の来し方行く末に対して思い悩んでいるような気がしたからです。横浜コンを終えた時の雑感(id:ariyoshi:20100506:1273101101)として

嵐の歌に「変わっていくことをなぜ僕らは恐れるのかな」というフレーズがありますが、私は何事も変わっていくことがとにかく嫌で、その思いを知念様に押し付けてしまっていたような気がします。知念様がこのフレーズをどう思っているのか聞いてみたいです。

なんて書いていたのですが、W誌9月号で知念様がオススメの曲としてこの曲を挙げていて、再びその時の不安が頭をもたげてきました。


最近の知念様の笑顔はすごく綺麗なんだけど、温度を感じません。美しい陶器に触れているような感覚。たとえば、知念様の背負い方はタンポポのようなものなんじゃないかと想像してみる。タンポポは可憐な見かけと裏腹に根が深くて、掘っていくとその根は地下2mに及ぶこともあるそうです。タンポポが深く深く根を張るように、知念様が背負っているものは知念様の中に深く深く根付いていて、それは誰にも気付かれないように知念様の心を覆い隠そうとしているのかもしれません。だけどそれは深い土の中で起っていることなので誰も気付かない。本人も気付かれることを望んではないない。


サマリーでは知念様の回りには知念様に対する欲望(それはファンからのみではなく、作り手からのものも含まれる)が渦巻いていました。サマリーに限らず、たとえば今月のD誌のように知念様は常に様々な欲望に取り巻かれています。知念様はそれをアイドルとしてすべて受け入れる覚悟をしたのではないでしょうか?私は最近の知念様の笑顔にアイドルとしての覚悟を感じるんです。春はまだ迷いがあったのかもしれません。自分の心を覚悟で覆い隠して切り離すことによって、それはようやく実現される。サマリーで知念様が一番素の表情を見せていたのは空中ブランコが成功した時だけだったような気がします。あそこまで極限状態に追い詰められないと、彼の作り上げたアイドル性はゆらめかない。知念様の決意はとても潔くて尊いものだと思うのですが、まだ16歳と言う年齢を思うと、少し早すぎるのではないかとも思います。だから今日の知念様を見ていると愚民は切なくなる。


ただ、知念様はメンバーや学校の友達ととても良質な関係を築いているようなので、そこが知念様にとって安らぎの場になっていればいいですね。私は知念様について考えているとどうしても思考がずぶずぶと、それこそタンポポの根のごとく深いところまで行ってしまって、気付いたら地球の裏側まで行ってしまっているので、実際の知念様を見ると私が思っている以上に知念様は軽やかで拍子抜けしてしまうことも多いです。だから全部私の妄想で杞憂であればいいと思ってます。というか妄想です。


知念様、サマリーお疲れさまでした。一夏の夢をありがとうございました。ジャニヲタエンジョイしているようで何よりです。