愚民159

人はただ十二三より十五六さかり過ぐれば花に山風

ねじ巻き人形の高木と知念様

もう誰もわたしの背中のねじを 巻いてくれる人もいないのに


(「鳥籠姫」作詞・作曲:谷山浩子

谷山浩子さんの「鳥籠姫」という曲が好きでよく聴いているのですが、このフレーズにさしかかるたびに去年の冬コンの高木と知念様の不思議なやりとりを思い出します。
(続き、書きました。高木に「ばか」と連呼していますが、私にとって「ばか」というのは「かわいい」の最上級です。でも気を悪くされる方がいたらごめんなさい……。)




これは当時のコンサートの感想でも書いたのですが、「Born in the Earth」の時に、みんな歌っているのに高木だけマイクを下ろしたままぼんやりと突っ立っていたことがあったんです。「この子、大丈夫なの?」と心配をしていたら、知念様がスタスタと近寄ってきて、高木の手の甲を軽く何度か叩きました。すると、まるでスイッチが入ったみたいに高木はマイクを上げて一緒に歌い始めました(それでも棒立ちのままだったけど)。私は小さい頃、ねじ巻き人形のオルゴールを持っていました。背中のねじを巻くと、人形が首を回しながら音楽を奏で始めるのです。まるで高木がその人形のように思えました。
サマリーでの知念様は特に誰と絡むということもなかったのですが、アンコールの「勇気100%」では必ず高木のところに一度は行っていました。高木ってよくよく見ていると結構ぼんやりと突っ立っていることが多くて、知念様が高木のところに行くたびに「あ、また知念様が高木のねじを巻いてる」と思っていました。

私はコンサートに行ってもほとんど知念様しか見ていないので、高木が他のメンバーとどういう風に絡んでいるのか知らないのですが、知念様と高木の関係は私にとっては「ねじを巻く人」と「巻かれる人」です。あるいはスウィフトの『カリヴァー旅行記』に出てくるラピュータの国のクリメノールとお偉方。

お偉方の心は深い思索にいつも沈潜しがちなので、ものをいう器官と聴く器官を適当に外部の者に叩いて刺激してもらわない限り、ものを言うことも、他人の言っている言葉に耳を傾けることもできないらしかった。そんなわけで、資力のある連中は、家の雇い人の一人として叩き役(言語はクリメノールという)を雇うことにしているのだそうだ。(略)たとえば、階段を登っている最中でも、なぜ自分たちが登っているか再三再四忘れてしまい、私をとり残してさっさと勝手にいってしまう有様で、叩き役のお世話になってやっと記憶が蘇るらしかった。


(スウィフト、平井正穂訳『カリヴァー旅行記』)


この小説はいつもぼんやりしているお偉いさんに対する皮肉なんだろうけど、高木はたまにこのラピュータの国の人のようにぼんやりと自分の世界に迷い込んで、いま自分がどこにいるのかすら分からない状態になってしまっていることがある気がします。

私は「ユニットにはこどもが必要である」というのが持論で、「こども」を愛でる、あるいは守ることを通じて、集団というものは有機的に繋がれると思っています。JUMPの中で、この「こども」の役割を意識的に果たしてきた人が知念様で、最近ナチュラルに「こども」としてかわいがられることを受け入れられるようになってきたのが真の最年少のもったんで、でも本当にこれからJUMPの「こども」になるのは高木なんじゃないかという気がします。
たぶん、メンバーの中で一番純粋な心を持っているのが高木です。ジャニーズの天然ボケの人って、ルックスだけは良い人が多いけど(高木が元々所属していたJJEの浅香・橋本・高木のイケメンばか三人衆は本当に中身はひどいけどビジュアルは素晴らしかった。あの時代の奇跡)、それって幼い頃から外見に対する褒め言葉を浴びるように聞いて、かわいがられることが当たり前だから、それだけ自分に自信を持ってばかでいられるんだと思うんですよね。苦労の知らないお嬢様の手が白くて柔らかくて美しいように、汚い言葉を知らない彼らの心は純粋で柔らかくて美しい。その分、悪いことにも染まりやすいので、その後の環境次第でどのようにも変わってしまうんですが、高木はちょっと危うい時期もあったけれど、JUMPのメンバーである自分を受け入れられるようになったことで、再びただのイケメンばかになりました。

少し高木が浮いていた時代に、高木をJUMPに結び付けていたのも知念様だと思っているんですが、このことについて詳しく語るのはまた別の機会に譲るとして、高木がJUMPのメンバーとしてのびのびと過ごせるようになった今、心のおもむくままにぼんやりしがちな彼をこちらの世界に引き戻す役目を果たしているのもやっぱり知念様で、高木が知念様のことを大好きなのは単に「かわいい」からだけではなくて、知念様が自分のねじの巻き役であることに心のどこかで気付いているからなんだと思います。高木自身はそんなこと、まったく意識もしていないんでしょうが。

高木がJUMPを受け入れられるようになったのは、去年の冬から今年の春にかけてくらいだと勝手に思っています。私が冒頭に挙げた「鳥籠姫」を聴くと切なくなるのは、もし高木がJUMPを選ぶことをできなかったら、彼の背中のねじを巻いてくれる人はどこにもいなかっただろうと思うからです。高木がJUMPを受け入れてくれて本当に本当に良かった。高木のねじを巻く知念様はとても楽しそうなので、これからも高木はねじ巻き式の人形のままでいて下さい。