愚民159

人はただ十二三より十五六さかり過ぐれば花に山風

KANJANI∞ LIVE TOUR 2010-2011 ∞UPPERS

もはや知念様強化月間というより、私が普段どれだけギリギリで生きているのかを晒す月間のていをなして参りましたが、今日はがんばります。書けていない日もいつか埋まる予定です。

いくつかのエントリを通じて、JUMPというユニットで知念様が果たしてきた役割について語りたいのですが、その前に先日のエイトコンを見て、私がずっとエイトに思ってきたことと今のエイトを見て思ったことについて書こうと思います。4日のエントリで「ユニットにはこどもが必要である」と言いましたが、これは私がエイトファン時代にエイトというユニットがなぜ最高で最強なのかを考えている時に思いついたことで、私が理想のユニットについて語っている時、その根底にはいつもエイトがいるんです。
ただ、「元ファン」という言葉は危険な言葉だと思ってます。元ファンの意見はなまじ知識と思いがある分、性質が悪い。私はかつてエイトが好きでした。でも今は知念様が好きです。「過去の思い」は「今の思い」には勝てないと思っています。だから、これはもはや知念様好きの単なる外野の意見です。エイトファンの方には納得できないこともたくさんあると思うのですが、こういう意見もあるのかと大目に見ていただければと思います。ちなみに曲等のネタばれはないです。長いので隠します。




コンサートを見ながら、エイトの形についてずっと考えていました。
私にとって、エイトというユニットはずっとピラミッドの形をしていました。一番上に三馬鹿がいて、少し下に亮ちゃんがいて、土台に楽器隊の3人がいて、それぞれの階を気の向くままにふわふわと動いているのがピロキでした。ふわふわと動き回るピロキという「こども」を愛でることによって、エイトはピラミッドの形を保ちながら繋がっていました。私はその8人が作る形が大好きで、このユニットが描き出す物語に夢中でした。当初、「関ジャニ」と略されることも多かったですが、彼ら自身は自分たちのことを「エイト」と呼んでいました。エイトは自分たちが8人であることをとても誇りに思っていたような気がしますし、ファンも8人のエイトをとても愛していました。
エイトはピロキを失い、ピラミッドの形を保てなくなりました。そこで彼らが選んだのが全員が手をつないで横一線になるという道でした。すばるさんが「エイター」という言葉をいつ頃使うようになったのかもう思い出せませんが、まるでぽっかり開いた穴を埋めるように、彼らは「エイター」という言葉を使い始めました。私はこの言葉が苦手でした。いや、正直言えば今でも少し苦手です。「エイター」という言葉はファンとエイトを同じ高さに据えて、同じ場所で手を繋ぐことを求めてきます。そうすることにより、エイトはまさに「無限大」に増えていきます。私にとって彼らは松竹座のような小さな会場でも舞台の上の人たちでした。そしてエイトは8人で、それ以上でもそれ以下でもありませんでした。
私はいつからかエイトを見る時、そこにいる彼らのことではなくそのポッカリ開いてしまった穴ばかりを見て、それがふさがることが最善のことだと思いこみ、そのことばかり考えるようになりました。大倉がエイトレンジャーで綴り続けていた「8→1」という数字は、そんなわがままなファンの思いが書かせていたものだったのかもしれません。


今回のコンサートで一番感動したのはやっさんの使われ方です。私はエイトファン時代は毎日「やっさん天使!」と叫ぶくらいやっさんが大好きで、やっさんの能力が正当に評価されていないことを不満に思っていました。やっさんってとにかく歌がうまいんです(と私は今も昔も信じています)。なのに全然ソロパートがないことが不満でした。けれども、前のアルバムくらいからやっさんが歌の面ですごく効果的に使われ始めていて、今回そのことがコンサートではっきりと確認できて、ものすごく感動してしまった。エイトを船で例えるならやっさんは錨です。やっさんの安定した歌声や音楽性が、今のエイトの音楽面を縁の下から支えているということがすごく伝わってきて、私は「ほら、やっぱりやっさんってすごいんじゃん!!」と今更言いふらしたくなってしまいました。やっさんだけじゃなくて、まるちゃんのファニーボイスも要所要所を任されていて本当に嬉しかったし、大倉がかつて錦戸さんが果たしていた「美丈夫」の役割を果たしているのにも感心した。その昔、楽器隊の3人を「関ジミ3」とまとめられて怒り狂っていたものだけど、今の彼らはまったく地味ではなくて、果たすべき役割を果たすべき場所でしっかりと果たしているのが伝わってきて、すごく誇らしくなった。


私は、結局エイトを見ることを途中で放棄してしまったので、実際に彼らがどういう風に変わってきたのかが分からないんですが、たとえばエイトが横一線になることを選ばなかったら、楽器隊の3人が正当に評価される日はもう少し遅かったんじゃないかとも思うんです。いなくなって良かった、という話ではありません。今もあの子がいてくれたら、どんなにか良いだろうと思います。けれども、着実に歩みを続けてきたエイトに対して、「なんであの子がいないの?」と言い続けることは、それはそれでとても失礼なことなような気がしたんです。


2008年の冬、ピロキのコンサートに遊びにきた横山さんは「内が何も変わってへんように、俺らも何も変わってへんから」と言いました。たぶんエイトは何も変わらないでいるために、形を変えたんです。7人のまま8人のエイトを保つために、あえて形を変えて手を繋ぐことを選んだ。


私はやっぱり今でも8人のエイトが好きだし、8人に戻ればいいのにとしつこく思っているんですが、今回のコンサートの7人のエイトが本当に素敵だったので、7人のエイトも応援していきたいなと、たぶん初めて素直に思えました。そして、久しぶりにかつての口癖である「やっさん天使!」を連呼しました。ここまでくるのは長かった。今はすっかり知念様の愚民になってしまいましたが、これからも一やっさん好きとして、エイトコンにはお邪魔させていただきたいと思います。そして、「やっさん天使!」あらため「やっさん錨!」を連呼したいと思います。