愚民159

人はただ十二三より十五六さかり過ぐれば花に山風

知念侑李さん、17歳おめでとうございます。

とうとうこの日が……!!今月は知念様ファンになって一番がんばった1ヶ月だったような気がします。不完全なエントリもいっぱいあるけど、なんとか毎日更新できました(ということにしておいて下さい)。アンケート結果は30日中には発表したいです。




知念様、17歳おめでとうございます。

去年、知念様が16歳になった次の月、私はコンサートで『ワンダーランド・トレイン』を聴いて、その神性が失われてしまったことから知念様の少年期が終わり始めていることを実感し、大きな喪失感に打ちのめされてしまいました。その思いは春まで続き、春のコンサートでいつも以上に奔放な動きをする知念様が、幼さ故に無敵だった自分と等身大の自分の間で揺れ惑っているような気がして、知念様に対する切なさと喪失感はいよいよ募っていきました。あまりにも切なくて、春コンでは双眼鏡を覗きながら「ねぇ、ゆうり。あなたは本当にそれでいいのゆうり?」と、なぜか知念様を「ゆうり」呼びして毎回脳内でガールズトークを繰り広げていたくらいです*1

そんな切なさ地獄から私を解放してくれた曲が『ガンバレッツゴー!』でした。

仕事の忙しさに潰されそうな時に『ガンバレッツゴー!』を聴き狂っていたのですが、ある時ふと閃いたんです。『ワンダーランド・トレイン』を歌っていた男の子は確かにいなくなったけど、その子はたぶんこの曲をここまで素敵に歌えないんじゃないかと。

私が『ガンバレッツゴー!』が好きな最大の理由は知念様パートの「『キュン』とくる!」と「『グッ』ときた!」が素晴らしすぎるからなんですが、このパートが素晴らしいのはここに等身大の知念様が詰まっているからだと思うんです。たぶん、まだ何も知らない子どもだったワンダーランド時代の知念様が「『キュン』とくる!」「『グッ』ときた!」と歌っても、たぶん「キュン」とも「グッ」とも来ないんです。あの頃の知念様にこういう感情の機微は表現できなかったと思うんです。


『ワンダーランド・トレイン』は「キミ」に対する一方的な問いかけの歌でした。けれども、『ガンバレッツゴー!』は違います。

今日のキミを見ていると ボクもうれしくなる
いっぱい勇気や元気をもらった ありがとう


(『ガンバレッツゴー!』作詞:藤林聖子・MAKOTO、作曲・編曲:h-wonder


『ガンバレッツゴー!』では「ボク」の感情が語られます。神性と引き換えに自我を持つようになった彼らが歌うからこそ、『ガンバレッツゴー!』は素晴らしいんです。


私にとって17歳は少年期の最後の年です。18歳になると色んなことができるようになります。免許だって取れるし、結婚だってできる。「自由を得る」ということは「大人になる」ことの第一歩です。だから、私は知念様が17歳になるのが怖かった。17歳は少年期の終わりの始まりだから。


私はずっと少年に対する異常なこだわりがあって、「成長」をずっと「喪失」としかとらえることができませんでした。けれども、成長した彼らの心の動きをアイドルとしてのパフォーマンスにまで高めた『ガンバレッツゴー!』を聴いて、私は「成長」を初めて「祝福」と捉えることができるようになったんです。等身大の知念様の心の動きが詰まった「『キュン』とくる!」と「『グッ』ときた!」を聴いて、成長していく知念様をもっともっと見ていたいと思えるようになったんです。きっと『ガンバレッツゴー!』は彼らの心が豊かになればなるほど、もっともっと素敵に響くようになると思います。私にとって、『ガンバレッツゴー!』は成長への祝福なんです。


知念様、17歳おめでとうございます。
これから知念様の世界はもっともっと広がっていって、もっともっと豊かになっていくんでしょう。
16歳の知念様の「キュン」と「グッ」も確かに素敵でした。
でも17歳の知念様が歌う「キュン」と「グッ」は、もっともっと素敵になるに違いありません。
そんな知念様の成長を見ることができるんだと思うと、私は本当に嬉しくなるんです。


知念様、17歳おめでとうございます。
今日一日、知念様が世界一幸せに過ごせるように心の底から祈っています。
本当に本当におめでとうございます。

*1:そもそも知念様も私もガールじゃないけど。どこにもガールがいないガールズトーク……