愚民159

人はただ十二三より十五六さかり過ぐれば花に山風

マッチ箱の隅の思い出(KCラジオ総括その2)

最近日記スランプというか、何を書いてもまとまらなくて、それ以上にとにかく毎日眠くてしょうがなくて、でもいい加減にKCラジオが聴きたいので、私も日記をがんばろうと思います(支離滅裂)。前回のKCラジオはゆともりラジオの次に来たので、次のラジオ当番はKCで決まりですね!!革命やコンサートの感想も途中なのですが、ラジオ乞いの意味を込めて、去年書ききれなかったKCラジオ総括もぼちぼち書いていこうと思います。

知念様を好きになって、もうすぐ丸2年が経とうとしているにも関わらず、私はまだ毎日毎日飽きもせず、相当の粘度と密度をもって知念様について考えています。知念様について考えることは私にとってどんな意味のある行為なんだろう、ということも最近よく考えます。私は知念様について考えることを通じて、自分の中の何かを探っているんじゃないかと思います。けれども、それが何なのかは自分でもよく分かりません。

知念様について考えるにあたって、私の中で大きな意味を持つキーワードが「異邦人」です。知念様はJUMPの異邦人でした。これは私が知念様に強烈に惹かれる大きな理由のうちの一つで、このことについて考える時にもう一人の異邦人である圭人のことを欠かすことができなくて、だから私にとってこのコンビはとても重要な意味を持っているんだと思います。


(なんか長い上にすごい抽象的な話になってしまって分かりにくいです……すみません……)




去年放送されたKCラジオの一週目金曜に、珍しく知念様がジュニア時代の話をしていました。

知念:僕、あんまり、そこまでバック付いたことないけど。
岡本:俺もない。


(「Ultra Power」2010年9月17日放送)

この時の感想にも書きましたが、私がこのコンビにこだわる最大の理由はここにあります。JUMPの中で、この二人だけ積み上げてきた過去がないということ、そのことがこの2人を最初に結び付けたんじゃないかと思うんです。

知念:あとー、あのなんだっけ?ゆきーのふーるまちー……。
岡本:あーあーあー!あるある。
知念:あれは結構、ジュニアが歌っているのをよく聞いてた。
岡本:ね。
知念:懐かしいなぁ。


(「Ultra Power」2010年10月1日放送)


この「懐かしいなぁ」という言い方が、本当に儚げだったんですよね。小動物を手のひらに乗せて愛撫するような繊細さ。私は今でも「雪が降ってきた」や「ding-dong」を聞くと、キラキラとした笑顔を浮かべて歌うジュニア時代の山田くんの姿を鮮やかに思い出せます。ジャンプのメンバーのほとんどが、この歌を聞くとジュニア時代に歌った、あるいは踊った思い出を蘇らせることでしょう。

知念様が雑誌で静岡にいた時代のことを「長いトンネル」と表現していたことがありました(雑誌を探せなかったのできちんとした言いまわしじゃなくてすみません)。静岡の家で、「僕もジュニアなのに」と思いながら少クラを見ていた幼いちねんくんのことを思うと胸がいたみます。同い年のゆうとりんや山田くんが歌い踊るのを見ながら、自分がもしそこにいたら……ということを夢想することもあったでしょう。「ジュニアの時に歌っていた」ではなく、「ジュニアが歌っているのを聞いてた」としか言えない知念様が切ない。知念様にとってのジュニア時代は一方的に見つめるだけのとても儚いものだったんです。

私は飽きもせず、去年のKCラジオをほとんど毎日聴いているのですが、この知念様の「懐かしいなぁ」という呟きを聴くたびにマッチ売りの少女を思い出します。数少ないジュニア時代の思い出として、少クラを傍観者として見ていた時の記憶すら大切にとってある知念様に、マッチ売りの少女が暖を求めて、小さなマッチの火にすがるような切実さを感じるんです。無邪気に小さなマッチの火に手をかざして暖かいと喜んでいる知念様が、私は切なくてしょうがないんです。

たとえば「ジュニア歴」を暖炉だとします。そこにくべる薪を「思い出」だとします。ゆうとりんや山田くんやもったんは大きな暖炉を持っていて、そこにくべる薪もたくさんあります。知念様は大きな暖炉はもっています。誰よりも大きな暖炉なので、みんな知念様は温かいところにいると信じこんでいます。けれども、知念様にはくべるべき薪がほとんどないんです。誰も知念様が持っていないことに気付かないし、何より本人が気付かれないことを望んでいる。そして、誰も知らないところでひっそりと小さなマッチの火をともしては「懐かしいなぁ」とポツリと呟いているんです。たぶん、それで知念様は幸せなんです。だから、それはそれでいいんでしょう。

でも、やっぱり私はそんな知念様が切なくてしょうがなくて、だから薪どころか暖炉すら持っていない圭人がJUMPにいてくれて本当に良かったとしみじみ思うんです。きっと知念様は他のメンバーにはこんなに素直に自分のバック経験の浅さが分かるようなことを言えないと思うんです。何も持っていない圭人だから、知念様は誰にも見せることのできない小さな火も見せることができるんです。他のメンバーなら、「そんなもの燃やしてないで、暖炉で薪を燃やせばいいじゃん」と言うであろうところを、何も持っていない圭人だけは「あったかいね」と素直に受け入れてくれると思うんです。

ただ、圭人ってすごいサバイバルな人生を送ってきた人だから、暖炉や薪なんてなくても、ちょっとした道具があれば自分で火を起こせる人なんですよね。知念様が寒くて手持ちの小さなマッチの火で温まろうとしていたら、「知念、こっちで火を起こすからおいでよ。あったかいよ」と言ってくれる人。知念様が持っている小さな火を大きな火に変えてくれる人。最初の頃は、そういう風に二人だけの思い出を作って大きくしていくことによって、他のメンバーたちが持っている歴史に追いつこうとしていたんじゃないかと思うんです。
今では二人ともJUMPとして、他のメンバーたちともたくさん思い出を積み重ねてきたので、もはや二人だけの世界に閉じこもる必要はなくなりました。突然ここ2・3年の誕生日やクリスマスを一緒に過ごしていたことを話すようになったのも、そのあたりの心情の変化が根底にあるような気がします。それでも去年のラジオのような、儚い「懐かしいなぁ」という言葉を知念様が吐露することができるのは圭人に対してだけなんだと思います。二人とも強い人なので、たぶんお互いがいなくても乗り越えることはできたでしょう。でもお互いがいたから、きっと楽しく乗り越えることができたんじゃないかと思います。


これは私の中のイメージの話で、抽象的すぎて何を言っているかよく分からないと思うんですが、異国で日本語の看板を見るとどこかほっとするように、この2人はJUMPの中でお互いに出会えたことが、最初は救いになっていたんじゃないかなぁと私は勝手に思っている、という話でした。