愚民159

人はただ十二三より十五六さかり過ぐれば花に山風

笑顔の居場所

私は「おおきくな〜れ☆ボク!!」を聴き、その歌詞から放たれる強烈な自我に圧倒されて、知念様の愚民になりました。そんな私がジャンプのアルバムで一番楽しみにしていた曲が知念様作詞の「すまいるそんぐ」でした。「おおきくな〜れ☆ボク!!」のような知念様イズム溢れるケレンミたっぷりな歌詞を期待していた私にとって、「すまいるそんぐ」の歌詞は少し拍子抜けでした。確かに随所に知念様らしいポジティブさが炸裂していたのですが、それは大分マイルドになっていて、おおボクを聴いた時のような衝撃は受けませんでした。かといって、とくにがっかりするわけでもなく、知念様自身も成長し、少しは自我を抑えることを覚えたのかなぁくらいにしか受け止めていませんでした。

最近、ふと「この曲のタイトルはなぜ『すまいるそんぐ』なんだろう?」という疑問が浮かびました。この曲には「スマイル」という言葉も「笑顔」という言葉も「笑う」という言葉も出てきません。ただ、自分らしくあるために何物にもとらわれずに生きていこうというシンプルなメッセージがあるだけです。
私はこの曲は「キミ」に対して歌われているので、おおボクにあった圧倒的な「ボク」、つまり知念様自身はてっきりそこに存在していないと思っていました。けれども、この曲は「キミ」に歌っているように見せかけて、実は知念様自身の笑顔に裏に存在するものを素直に吐露した曲なのかもしれないと最近思うようになりました。

知念様の笑顔はこの1年くらいで変わった気がします。昔から基本的には笑っている方でしたが、去年の春くらいから私は知念様の笑顔にアイドルとしての覚悟を感じるようになりました。その変化の裏にあった知念様の思いが、この曲の歌詞には隠されているような気がするんです。
知念様がこの曲に「すまいるそんぐ」と名付けたことに深い意味はないと思います。たぶん、特に意識せずに知念様はこの曲に「すまいる」という言葉を使ったんだと思います。でも意識していないからこそ、そのことはとても意味深いことだと思います。この曲はぱっと聴いた限りでは新興宗教チックな力強すぎる曲なのですが、本当はすごく繊細な曲なのかもしれません。

これは昨日の豚の角煮の話から繋がってくる予定です。書けたらいいな……。