愚民159

人はただ十二三より十五六さかり過ぐれば花に山風

山田くんの切なさについて語ることはなぜキャンペーンだったのか

なんかもう全然毎日更新じゃないし、日付も単なるナンバリングに過ぎなくなっているんだけど、とりあえずKCラジオが発表されるその日までは毎日更新のていを取っていこうと思います。知念様もていを大事にする方ですしね!
私の周りに知念様ファンが増える気配は一向にないんですが、考えてみると私だって人の話を聞いて誰かのファンになるということがあまりないので、お互い様なのかなという気もしてきました。私が知念様のわきに芽生えた命に名前を付けるような奇行(というほどの奇行じゃないと思うけど。iPodとかパソコンに名前を付けるのと一緒じゃない?)に走っても見捨てないでいてくれるだけで嬉しいです。励ましの言葉を下さった方、ありがとうございました。少なくとも何人かの方に知念様の素晴らしさを伝えられているのであれば、もうそれだけでこの日記の存在意義はあったんだと思います。

それはそうと、1年前の私といえば編み物と山田くん切ないキャンペーンに夢中でした。どうでもいい話なんですが、なんで私が山田くんの切なさについて語ることを「山田くん切ないキャンペーン」と呼んでいたのかというと、私が山田くんの切なさについて語ることはあくまでも期間限定の運動に過ぎないと最初から分かっていたからです。言うなればヤマ○キ春のパン祭りみたいなもんです。一方、知念様の切なさについては「知念様切ない地獄」と呼んでいました。私にとって知念様の切なさはいつ終わるか分からないメビウスの輪のようなものだったからです。

去年の私は山田くんが何をしても切ないと騒いでました。山田くんが投げキッスをすれば切ない、山田くんが頑張らないを頑張ると言えば切ない、山田くんが綱渡りをすれば切ない、山田くんが布にくるまれれば切ない、山田くんが知念様に無視されれば切ない、とにかく何でも山田くんのことを「切ない」の一言で片付けていました。

人は感動の涙を求めて映画やドラマを見たり本を読んだりすることがありますが、私が山田くんに対して求めていたものはそれに近かったんじゃないかと思います。サマリーの感想で、私は山田くんに「悲劇すらエンターテインメントに変えてしまうアイドル性」を感じたと書きましたが、山田くんの切なさはとにかく華やかでカタルシスがあるんです。私が初めて切なさに泣いた映画は『ローマの休日』でした。ラストシーンを思い出すたびに切なくてたまらなくなり、夜中に布団の中で思い出しては泣いていました。今でも知念様がローマで休日を過ごしてグラッツェグラッツェちぇけらうよと歌っているのを見ているだけで泣けてくるくらいです。というのはさすがに嘘ですが、山田くんを見ていると幼い頃『ローマの休日』に覚えたような切なさを感じるのは本当です。

ただ、これはあくまで山田くんファンでない立場から見た場合で、山田くんファンの方からすると、私の山田くんの捉え方はすごく無責任なんだと思います。逆に知念様の切なさについては考えすぎてろくに書けないままだらだらと即物的な萌えに身をゆだねて過ごしてしまい、気付けば知念様は切なさなんて飛び越えてひたすら素敵な17歳になってしまわれました。それはそれで素晴らしいことなんですが、知念様の切なさについてきちんと書き残せなかったことはずっと後悔し続けるような気がします。いや、十分書いてたじゃねーか!というツッコミもある気がするんですが、あんなんじゃ全然足りない。そのことを少しでも覚えている間に書ければいいなぁと思ってはいますが、もう無理なような気がしています。だって、現在進行形の知念様が素晴らしすぎるから。

山田くんに対しては無責任に切なく思っていましたが、決してふざけていたわけではなくて、いつでも本当に真剣に山田くんについて考えていました。去年も色んなことを書き散らしていましたが、一番思い入れもあって労力も使ったエントリーは「山田くんのI LOVE YOU」(id:ariyoshi:20100112:1263275335)でした。私はただのサラリーマンで、文章を書くこととまったく関係ない仕事をしていて、この日記だってただの趣味に過ぎないんですけど、私のヲタ生活、いやそれどころか人生において、思ったことを文章という形にして残すことがどれだけ大切なことかがあのエントリーを書いたときに分かった気がするんです。あれを書くまでは、色んな思いが鉛を呑みこんだみたいに胸を押しつぶしてきて、本当に苦しく苦しくてたまらなかったんです。山田くんについて考えること、そして書くことは私の人生に大きな指針を与えてくれました。

16歳から17歳にかけての山田くんに私が無上の切なさを感じていたという事実は、私のヲタ人生の中で鮮やかな綺羅星で在り続けるんだと思います。『ローマの休日』のラストは切ないけれど、切ないからこそあの映画は名作なんです。こんなことを書いたからって、別に山田くんについて考えるのをやめるわけではなくて、たぶんこれからも私は無責任に山田くん切ないと口走るんでしょうけど、山田くんのアイドル性はそんな無責任な思いも受け止めて自分の光にする力がある気がします。そのことが山田くんを苦しめることもあるんでしょうけど、光のあるところに影があるように、それが山田くんをアイドルたらしめていると思うので、これからも純粋さに異常にこだわり続ける山田くんで居続けて欲しいなぁと、やっぱり無責任に愚民は思ってしまいます。ごめんなさい山田くん。ありがとう山田くん。