愚民159

人はただ十二三より十五六さかり過ぐれば花に山風

森本龍太郎さん、16歳おめでとうございます。

去年はジャンプメンのお誕生日をお祝いすることを通じて、へいせいじゃんぷというユニットと向き合おうという自主目標があったんですが、色々あって圭人ともったんとありたんのエントリだけは書けずに終わりました。
遅くなってごめんねもったん。


もったんのことについて考える時に真っ先に思い浮かぶ言葉が「選民意識」です。前に山田くんとラジオをやっていた時にもったんが言っていたキャベツを食べられなくなった理由が衝撃的でした。

「動物が食うものを、オレ食っていいのかな?」というのを知っちゃって、食べれなくなっちゃった。

(「Ultra Power」2009年10月26日放送分)

小さな子供と接していると「この子の世界の中心はまだ自分なんだろうなぁ」とよく思います。子供は自分では何もできない存在です。だから自分を中心だと信じきって、大人に遠慮なく頼ることが必要なんでしょう。そういう意識は、成長し、外の世界を知るにつれて、段々薄れていくものなんだと思いますが、まれにその意識を持ち続けたまま大きくなってしまう人もいます。私はもったんはそういう人なんだと思うんです。だから、時々もったんには笑顔で蝶の羽をむしるような、子供特有のイノセンスゆえの残酷さを感じます。
ただ、これはもったんが甘やかされて育ったとかそういう意味ではなく(むしろ家庭での話を聞く限り、ある意味かなりの苦労人なような気すらする)、もったん自身の異様な芯の強さ、というか太さが原因なんだと思います。

「芯のある人」という表現があります。例えば、知念様の芯は鋼のワイヤーみたいな感じだと思うんです。強くて切れにくくて、状況に応じてたわんだり、巻き付いたりすることができる。山田くんはガラスの柱かもしれない。すごく綺麗で強度もあるけれど、一旦ヒビが入ると粉々に砕け散ってしまう。
私には、もったんの芯は誰よりも太くて丈夫な丸太みたいに思えるんです。柔軟性はないし、何にも加工されていないから、安易に触ると棘がささって痛い思いをすることもある。でも、その分、あったかいんですよね。そして何よりも丈夫。いざというとき、みんなから寄りかかられても支えられる人って実はもったんなんじゃないかと思います。

去年のサマリーの頃は、もったんが客席をとても冷めた目で見ていることが多かった気がするのですが、最近はそうでもなくて、私を戦かせてやまなかったもったんの選民意識はこれから徐々に失われていくのでしょう。これはもったんが大人になり始めたということなので、喜ぶべき変化なんだと思います。けれども、もったん固有の丸太のような芯はこれからももったんの憎めないふてぶてしさを支えていくことでしょう。今はまだ自分の重ねた年齢の少なさに無力感を覚える日も多いと思うのですが、もったんの芯の太さはいずれジャンプというユニットの幹になるんじゃないかと思います。これからもそのぶっとい芯を持ち続けて下さい。

ちなみに私はずっと前から森本兄弟は兄派です。
私も長女なのでもったんの長男ならではの苦労人気質には共感することも多いです。
これからも森本ママの武勇伝をたくさん聞かせて下さいね。

森本龍太郎さん、16歳おめでとうございます。