愚民159

人はただ十二三より十五六さかり過ぐれば花に山風

待たない希望

私はもったんのことを待っていません。10人じゃないとJUMPじゃないと言う人がいます。私もそう思いたいです。でも、悲しいことに9人だってJUMPなんです。これは本当にそうなんです。エイトが7人でもエイトなのと一緒です。そのことを私は知っているんです。
エイトの時、私はずっと「Heavenly Psycho」を聴いていました。

そこに僕の姿がなくても世界は簡単にまわった

本当にそうなんです。そこに姿がなくても世界は簡単に回ってしまうんです。悲しいくらい滑らかに。
エイトファンの時はずっとずっと待ってました。かわいい末っ子が戻ってくる日のことをずっと待ってました。いや、今だって待っているのかもしれません。ちょっとしたことで、今度こそ戻ってくるんじゃないかと期待していました。でも「∞だよ!全員集合」ツアーの時に、全員集合とわざわざ言っておいていなかった時に、ああもう無理なんだろうなと思ってしまい、私の中の希望の糸は切れました。

希望を持つことは大事だと思います。素敵なことだと思います。あの時と状況も違います。今回はもっと希望を持っていてもいいのかもしれません。だけど、あの時と同じように、大切に育ててきた希望のつぼみがあっさり摘み取られていくということがこれから何度も起こるんだと思います。それは、ささいなことであっても、とても深い悲しみを残します。その小さな傷の積み重ねに私は疲れてしまいました。あの時の悲しみを繰り返すことができるほど、もう若くもないんです。

私は当時やっさんファンでした。それ以上にエイトファンでした。やっさんとエイトは必要十分条件でした。だから、エイトの形が崩れた時、私はやっさんファンでいることすらできなくなってしまいました。


今回のようなことを想定していたわけではありません。でも、私はユニットという実態のあるようでないものに過剰に入れ込むのはやめようと思い、努力して木を見て森を見ないようにしていました。どんどん結束力の強くなっていくジャンプはまるで踏み絵のようでした。もう少しで私はジャンプが好きだと言ってしまうところでした。

希望は叶えば祝福になりますが、叶わなかった時は自分を縛りつける呪詛になります。その呪いは私の手からすべてを奪っていきます。だから、私は希望を持ちません。
私にとって、ジャンプは9人でもジャンプです。でも、もちろん10人でもジャンプです。そのために私ができることはなんだってします。帰ってきたら受け入れます。それはいつになっても構わないんです。だって、私は待っていないから。


きっと長期戦になるんだと思います。
だからこそ、待たないこと、希望を持たないこと、そのことを意識して、私はジャンプを、そして知念様を応援していこうと思います。