愚民159

人はただ十二三より十五六さかり過ぐれば花に山風

アメリカなしのコロンブス

ああ、ぼくはきみを研究しましたよ!ぼくはよく横のほうから、物陰からきみを眺めるんです!
(中略)
わかってくださいよ、いまやきみのほうがはるかに分がいいのに、それでもぼくはきみをあきらめられないんだから!きみ以外にはこの世界にだれもいないんですよ!外国にいたころにもう、ぼくはきみを思いついたんですよ、きみを見ているうちに、きみを思いついたんです。もし、物陰からきみを見ていなかったら、こんな考えは頭にうかびっこなかったんです……


(『悪霊(下巻)』 ドストエフスキー江川卓訳)


『悪霊』に登場するピョートルのスタヴローギンに対する思いが、私の知念様に対する思いに似ているとずっと思っていて、でもピョートルがなぜスタヴローギンのことを物陰から見るのかいまいち分からなかったんだけど、TDCホールの第3バルコニーの横からサマリーを見ていて、突然分かった。

物陰から見ていれば、相手の視線が自分を捉えることはない。そうして、彼に対して自分は絶対的な他者になれる。

世の中に「絶対」と言えることはとても少なくて、でも私は知念様を見ていると時折「絶対」的な何かを感じるんだけど、それはきっと私が彼にとって一生「絶対的な他者である」という確信なんだと思う。横の方から見れば見るほど、その確信は強くなる。

スタヴローギンはピョートルの話を聞きながら、「きみは自分を除外するんですか?」と尋ねた。絶対的な他者の発見により、人は自分を失わずに自分が除外された世界を作り出すことができるようになる。それは一見へりくだった行為のように見えるけど、本当は自分を除外することによって、自分自身を絶対化したいのかもしれない。

そう思うと、自分の知念様に対する思いがものすごくエゴイスティックなものに思えてきて、すごく申し訳なくなる。

私が知念様のことを好きなのは、誰でもない自分のためなんです。私が知念様のためにできることなんて何一つなくて、だから私は彼のことを物陰から見ることしかできなくて、そして私はまた知念様を発見するんです。