愚民159

人はただ十二三より十五六さかり過ぐれば花に山風

知念様の一人ラジオを聴きたくないわけ

昨日ロバ丸ラジオになぜか知念様が登場されて、初めて一人で収録したとおっしゃっていました。ロバ丸ラジオの知念様自体はとてもおかわいらしかったのですが、考えれば考えるほど、知念様の一人ラジオを聴くことが憂鬱になってきました。


山田くんのラジオはあまり聴けていないんですが、圭人のラジオは割と聞いています。ジャンペーパーを読みながらうすうす感じていたんですけど、圭人ってすごく自分のことが好きで、それ相応の自己顕示欲を持っている人ですよね。ただ、そこに押しつけがましさがないのが圭人らしい。自分のことを話したいとは思っていても、理解をしてもらいたいとはそこまで思っていない気がします。理解してもらえたら嬉しいけど、してもらえなくても構わないというスタンスでいそう。結局どこまでも自然体だから、彼の自己顕示欲には押しつけがましさも嫌味もあまりない気がします。ただ時々うっとうしい気はします(笑)


対して、知念様のジャンペーパーを読んでいると、この人って本当に伝えたいことがないんだろうなぁと思います。いや、伝えたいことがないというより、わざわざ言葉にしたいことなんてないという感じ。知念様は身体を使ってすることは何でも得意だとよくおっしゃっていますが、自分の全身で表現することで伝えたいことを伝え尽くしているから、言葉なんて必要ないし、それで理解されなかったらそれはそれでしょうがないと諦めにも似た感情を持っている気がします。「理解されなくても構わない」という部分は圭人と似ていますが、その方向性がまったく違う(ちなみに山田くんやゆうとりんはものすごく理解を求めるタイプだと思う)。私は少しでも思い入れがあるものはなかなか捨てられないし、色んな思いを溜めて溜めて溜め込んで、もう腐っているんじゃないかというくらい熟成させてから吐き出すタイプなので、知念様のその軽やかさがとても羨ましいです。

言葉で伝えたいことなんてない知念様が一人になった時にどんなことを喋るのかということには興味があります。でも、本当はそんなこと知りたくないような気もします。自分の手持ちの中になければ、自分の身を削るしかありません。


私が知念様の一人ラジオを聴きたくないのは、まさにこれが原因で、たぶん一人ラジオに緊張するあまりきっと素の知念様がかなり出てしまうと思うんです。そんな知念様はきっと聴く人すべてが身悶えるくらいかわいらしいに違いないんです。そんなの分かっているんです。太陽が東から昇るように、素の知念様はかわいらしいんです。
私は「かわいいね」と言われて「知ってます」と答えるアイドル知念様の傲岸不遜にすら見える態度の裏に潜んでいる(と勝手に思っている)、繊細で感じやすい知念くんを探究することに情熱を燃やしていたわけなんですが、すきまから見えるわずかなものからそれを想像するから楽しいのであって、それを全面に出されてしまったらどうしたらよいか分からないんです。でも、そんなラジオを聴いた自分がどうなるのかは分かっています。人一倍どころか人百倍身悶えるに決まっているんです。


言っていることが矛盾していると言われるかもしれません。今の私は、まるで好きな女性アイドルのヌード写真集が出ると決まったときのような心境なんです。見たいか見たくないかと言ったらそりゃあ見たくて、でも悲しくて、でも見ないなんて選択はできなくて、きっと見て泣きながら興奮してしまうんです。なぜ、見たいものが見られるのになぜ悲しいのかというと、今まで秘められていた部分が非常に分かりやすい形で白日の下に晒されてしまうからだと思うんです。自分だけに見せてくれるなら、きっと悲しくないんです。すべての人に見られてしまうことが悲しいんです。


私は圭人と知念様のコンビが大好きなんですけど、明星に載った女装した知念様を圭人がかばうという構図の写真が嫌で嫌でたまらなくて、自分でもびっくりするくらい拒絶反応が出てしまったんですけど、それも同じことだったのかもしれません。そういう形で認知されるのがとにかく嫌だったんです。分かりやすい形で大衆の前に出されて、それがそのまま広まっていくことが嫌でたまらなかったんです。
きっと、知念様が中身もかわいらしい方であることがラジオによって暴かれてしまうんでしょう。そのことが嫌でたまらないんです。悲しくてたまらないんです。


なんて思いをこうやって、ウェブに書くのは寒い寒いと言いながら服を脱ぎ捨てる行為なような気がします。でも、どうせ寒いならいっそ真っ裸になって凍えてしまいたい気分です。