愚民159

人はただ十二三より十五六さかり過ぐれば花に山風

日記を書くこと

全然今日は15日じゃないんですけど、とりあえず順番通りに埋めていきます。
今まで日記を書くことに苦痛を感じたり、書くことがないと思ったりしたことがほとんどなくて(レポとかは苦手だから少し辛いけど)、むしろ書きたいことはあるのに時間がなくて歯ぎしりすることが多かったくらいなんですが、今の私には知念様については語りたいことなんて、もはやないのかもしれません。知念様は相変わらず素敵で、私は知念様を見るたびに岡村ちゃんの歌みたいに無邪気に「だいすき!」と叫びたくなるんですけど、その内容は今まで言ってきたことを言い換えているだけで、もう新しく知念様について語りたいことなんてないような気がします。
いや、本当は言いたいことがないわけではなくて、もっと厳密に言えばこういうワールドワイドウェブを用いてまで声高に言いたいことがないんです。最近は知念様の繊細さとか可憐さにばかり目がいくようになって、でもそれは知念様がたぶん周りには隠している部分で、そんなことを鬼の首をとったみたいに書くことに抵抗があるんです。
というと、すごく自意識過剰な気もしてくるんですけど。私が知念様について考えていることはすべて妄想で、きっとものすごくトンチンカンなことを言っているんだと思います。だから、私の書いたことが知念様に少しでも影響することがあると考えること自体、ものすごくおこがましいですよね。
ちょっと前からウェブで日記を書くことの意味についてずっと考えているんですけど、未だに答えはでません。ただ、以前のように知念様について何でもかんでも書きたいとは思えなくなってきました。単純にまったく話したこともない一人の人間の内面について、こんなに粘着質に語り続ける自分が気持ち悪くなってきただけかもしれませんが……。知念様が18歳になったら、私ももっと軽やかなファンになりたいです。