愚民159

人はただ十二三より十五六さかり過ぐれば花に山風

からかいについて

「いや、その子は愛に値しません。終始ふざけどおしだったのを、私は見ていましたぞ」冗談まじりに長老が言った。「どうして終始アレクセイをからかっていたのです?」
(中略)
 リーズはまったく思いがけなく、ふいに真っ赤になり、目をきらりと光らせ、その顔がおそろしくまじめになったかと思うと、むきになった恨めしげな訴えをこめて、だしぬけに神経質な早口をまくしたてはじめた。
「だったら、その人はどうして何もかも忘れてしまったんですか?わたしがまだ小さかったころ、抱っこしてくれたり、いっしょに遊んでくれたりしたのに。だって、お勉強を教えに来てくださってたんですもの。そんなこと、長老さまはご存じないのでしょう?二年前、お別れするときだって、僕は決して忘れない、僕たちは永遠の友達だ、なんておっしゃったわ、永遠のですって!(中略)長老さまはどうしてそんな裾の長い袈裟をその人に着せたりなさったんですの……走ったら、ころんでしまうわ……」


(『カラマーゾフの兄弟(上)』ドストエフスキー作、原卓也訳)


からかいによって伝えたいこととかくしたいこと。
変わっていく相手と変わらない自分。
人が安心して好きと言える相手は、自分のことを一番好きにならない人と、自分が一番に好きにならない人なんじゃないかと思う。どちらか一方でも思いが重すぎるとバランスは簡単に崩れる。