愚民159

人はただ十二三より十五六さかり過ぐれば花に山風

ミダス王と知念様

無理をしようと決めたので、昨日は深夜まで雑誌の整理をしていたのですが、その中で一つ気になる写真がありました。それは2011年12月号のWUで、知念様と圭人とゆうとりんが3人がアルファベットの書かれた黒板の切れはしのようなもので遊んでいる写真で、ゆうとりんが「ROCK」の4文字、圭人が「N」、知念様が「H」を横に倒した形(カタカナの「エ」みたいな形)で持っていました。ゆうとりんと圭人の持っている文字の意味は分かります。「ROCK’N」というチョイスはロックを愛する二人ならではだと思います。だけど、知念様がなぜ「H」を持っているのかが分からなくて、ずっとその写真を眺めていました。
知念様はゆうとりん・圭人と自分の間に来るように、横に倒した「H」のパネルを持っていました。ずっと見ているうちに、私にはそれが「≠(ノットイコール)」に見えてきました。知念様が横倒しの「H」で、自分はこのロックな二人とは違う、ということを表現している気がしてきたのです。その瞬間、微笑んでいる知念様がとても寂しい人なように思えて、ひどく切ない気持ちになりました。

ミサンガ事件(圭人と山田くんがお揃いのミサンガをしていて、山田くんに「知念もお揃いにする?」と聞かれた時に知念様が「二人の間に入るみたいだからいいや」と断った切なすぎる事件)の時も思ったんですが、知念様は甘えたがりなくせに人との距離を置きたがるところがあって、あんなに愛されることを望んでいるのに、手に入りそうになるとすっと逃げていくような知念様が私はずっと不思議でした。愛されるだけの価値を持っているのに、それを手に入れようとしない知念様がずっとずっと不思議でした。

今朝、電車に乗っている時にふとミダス王の伝説を思い出しました。強欲なミダス王は願い事を何でも叶えてやると言われ、触れたものがすべて金になるという力を望みました。最初は喜んで色んなものに手を触れていましたが、食べ物も触れた瞬間に金になって食べることができず、最後は大事な娘まで金に変わってしまい、結局はその力がなくなるように願うのです。

私は知念様とミダス王が少し似ているような気がしました。知念様は自分が触れることによって、相手が変わってしまうことが怖いのかもしれません。傍からみれば、触れることによって金になるのであればどんどん触ればいいんじゃないかと思えるのですが、知念様が求めているのは相手が金になることではなく、変わらずにいてくれることなんだと思います。だから、どんどん変わっていくセブンよりもベストのメンバーといる方が今はいいのかもしれません。


なんてことまで考えたところで、あの横倒しの「H」は単に「ROLL」が文字が足りなくて作れないから、知念様が適当な文字を横に転がして「ROLL」という意味を表していただけかもしれないとも思いました。実際のところなんて知る由もありません。知念様自身に聞いたって、もはやこんな撮影の時のことなんて忘れていることでしょう。


このエントリを書くために調べて、ミダス王が「王様の耳はロバの耳」の王様と同一人物であることを初めて知りました。先の話から、華美なものを嫌うようになったミダス王が優雅な音楽よりも素朴な音楽を褒めたところ、「そんな耳はロバの耳になってしまえ」と言われて、ミダス王の耳はロバの耳になってしまったんだそうです。
こういうことをわざわざ書くのは、王様の耳の秘密を知った理髪師が穴に向かって「王様の耳はロバの耳」と叫ぶことに似ている気がします。浅ましいなぁと思いつつ、結局やめられない。