愚民159

人はただ十二三より十五六さかり過ぐれば花に山風

転がる二人

全国へJUMPツアーをここまで見て思ったこと。コンサートのネタバレが含まれます。


今回のツアーでは「Beat Line」を外周に散って踊っています。「Beat Line」は群舞が映える曲だと思いますが、外周で一人「Beat Line」を踊る知念様がとても美しいのでこの演出も気に入っています。正確に無駄なく一つ一つの所作を丁寧に踊る知念様の動きのラインはまさに「Beat Line」という曲の名前通りだと思います。

ジャニーズワールドでも思っていたのですが、知念様は集団で踊っている時よりも一人で踊っている時の方が圧倒的に美しい気がします。きっとジャンプの中で踊っている時は無意識のうちに手加減をしているんでしょう。一人で伸び伸びと踊る知念様には神がかり的な美しさを覚えます。空中ブランコの時もアクロバットの時も知念様は一人です。あんなにさみしがり屋なのに、知念様が本領を発揮できるのは一人の時なんだと思うとなんだか切なくなります。ジャニーズワールドのソロダンス曲にある「Now I stand here by myself,where my heaet belongs(いま僕は一人で立っている、僕の心のいるところに)」という歌詞は非常に象徴的です。結局知念様は自分がいるべきところに一人で立つしかないのかもしれません。

私が知念様の孤独について考えるようになったのは2010年の春頃です。高木の反抗期が終わり、圭人がメンバーと仲良くなってきた頃、ジャンプの中に和ができはじめました。そして、その頃から知念様はその和という輪の中から外れるようになりました。知念様はそれまでずっと輪から外れている人に寄り添っていました。みんながその輪の中に入った結果、知念様は一人になってしまったような気がして切なくてたまらなくて、一人で空中ブランコに挑戦する知念様を見てその思いは極限まで高まりました。
この頃から知念様は鬼のようなファンサをするようになりました。輪から外れたせいで外に目を向けざるを得なくなったように思えて、知念様が孤独だという思い込みはそれからもずっとぬぐえませんでした。

今回のツアーの知念様はずっと楽しそうです。いや、今回に限らず知念様はいつだってとても楽しそうにふるまっています。だけど、たとえば「愛ing」で圭人と山田くんが楽しそうに手を繋いでいて、ゆうとりんがそこに知念様を誘っても知念様は行きません。少し離れたところで客席だけを見て、一人で楽しそうに踊っています。楽しそうに見えるけれど、ゆうとりんの誘いに乗らず、山田くんのことも圭人のことも見ようとしない知念様は精神的にはひどく引きこもっているような気がしていました。


ドームのコンサートにだけはセンターステージに小さな汽車がありました。

東京ドームの2日目の「冒険ライダー」の時、汽車に乗っているありたんやハッシーに手を伸ばしてもらいながらもその手をとらずに並走している知念様が不思議でした。知念様はあんなにもみんなに愛されているのに、その愛を受け取ろうとしません。その汽車に圭人がひょいと乗って、圭人が近くにいた山田くんを乗せてあげているのを見た時はなんだか悲しくなりました。圭人はきっと知念様がそばにいても、知念様を乗せてくれないような気がしたからです。

京セラドームの2日目、「愛ing」の時に知念様は途中で汽車を降りました。薮くんが手を伸ばしてくれましたが、知念様はやっぱりその手を取りませんでした。汽車に並走する知念様を圭人が笑って見ていました。そして、何を思ったのか分かりませんが、圭人はなぜか自分も汽車を降りて、知念様と一緒に走りだしました。

これを見た時、知念様が求めていたのはこれだったんじゃないかと思いました。知念様は小さくてかわいいから、みんな知念様を自分の懐に入れようとします。だけど彼はその見た目の可憐さとは違い、一人で何でもできて、一人で立っている時こそ美しい人です。だから、知念様は庇護下に置かれるのではなく自分の隣りで同じように走ってくれる人を本当は探しているんじゃないんでしょうか。みんなで一つの輪を作ることも嫌いではないんだろうけど、その中に閉じこもるよりもそこから外れて自由に走る自分と一緒に走ってくれる人を本当は求めているような気がします。

内田善美の『空の色ににている』という漫画にシルヴァスタインの『ぼくを探しに』をモチーフにしたエピソードがあります。『ぼくを探しに』は完璧な円になるために自分のかけらを探して旅をする「ぼく」の話ですが、『空の色ににている』の中ではまったく同じ形に欠けているもの同士が二つコロコロと転がっていくからこそ楽しいんだという台詞が確かありました(読んだのがはるか昔なので間違っていたらすみません)。

圭人と知念様は見た目も性格も全然違うし、シンメとも言えません。ニコイチという言葉は山田くんと知念様の方が似合っていると思います。圭人と知念様は二人で一つではなく、どこまでいっても二人で二つのままです。幼い頃の二人が一緒にいて楽しかったのは二人の欠けている部分が似ていたからなんだと思います。バックの経験がないこと、東京に友達がいなかったこと、父親が有名人でその子供という肩書きを多少なりとも背負って生きてきたこと、そういう翳となっているところが妙に符合するんです。この二人が同世代で、同じアイドルグループに入ったことはささやかな奇跡だと思います。二人は同じ形に欠けているからこそ、二人で楽しく転がりながらジャンプという輪の中に入っていくことができたんだと思うし、時々楽しそうに二人だけでそこから転がり出てしまうんだと思います。

東京ドームの二日目、圭人はもし知念様が近くにいてもやっぱり汽車に乗せなかったでしょう。だけど、それは圭人が一緒に降りて走ってくれるからで、そんな圭人だから知念様は好きなんだろうし、そんな二人が私は大好きなので、大阪で一緒に走る二人を見られて本当に良かったです。