愚民159

人はただ十二三より十五六さかり過ぐれば花に山風

神そらにしろしめす

何度も言っているけれど、知念様が「おおきくな〜れ☆ボク!!」という曲を歌っていなければ私は知念様を好きになっていなかっただろうし、あの時好きになれたから私は知念様が一番美しい季節をすべて見守ることができたので、おおボクを作詞してくださった知念様本当にありがとうございます!という気持ちになったので、ひさしぶりにおおボクの歌詞を噛みしめていた。

知念様について初めて書いた時のエントリー(id:ariyoshi:20090323:1237820189)は自分でもよく読み返す。あの時受けた衝撃をありありと思いだせるから。いま読むと違うと思うこともあるんだけど、印象はおおむね変わってない。猫も杓子も自分探しをしている世の中で、強い自我を貫きまくっている知念様は本当にかっこよかった。
今の知念様はたぶん大きくなりたいなんて思ってないだろうけど、あの曲を歌っていた頃の知念様は本当に大きくなりたかったんだろうし、今よりもずっと色んなことを素直に信じていた気がするから、やっぱり覇王だったんだと思う。谷山浩子さんの「意味なしアリス」に「きのこの上の芋虫は淋しさを教える教授だった」という歌詞があるんだけど、知念様にとってのきのこの上の芋虫は成長していく自分自身だったのかもしれない。それでも知念様は自分探しなんて一度もしないで、ひたすら自分の中で自己探求をしていた気がする。

おおボクの「もしも君より大きくなったら広い背中でおんぶしてあげる」という部分に知念様流の優しさがつまっていて大好きなんだけど、そういえばこの曲には「バスケットボールのゲームに出てかっこよくダンク決めたいな」という歌詞があって、脳内ダンスでも分かる通り知念様にとってバスケ=圭人だから、もしかしたらこの曲の君は圭人なのかもしれないという可能性に4年の時を超えて辿りついて、KC尊い(泣)といういつもの極端な結論にいたった。当時、別にバスケは興味ないけど語呂がいいからなんとなくバスケットボールのゲームにしたって言ってたような気もするけど。

すべて世はこともなし。