愚民159

人はただ十二三より十五六さかり過ぐれば花に山風

81歳の秘かじゃなさすぎる欲望(ジャニーズ伝説・10/6・18:00公演を見て)

そういえばエビ座の公演初日に行きました。本当はあと2回見る予定だったので、内容を自分の中で噛み砕いてから感想を書きたかったのですが、2回目の観劇直前に入院してしまったため結局1回しか見られませんでした。初日から変わったこともあったと思うので、的外れなことを言っていたらすみません。


ぶっちゃけこの舞台、すごくつまらなくなかったですか?私はつまらなすぎてびっくりしたんですよね。たぶんこれはABCがやってたから、なんとかここまで見られるものになったんじゃないかと思う。もうつまらなすぎてびっくりした。あんまり「つまらない」の一言で片づけるのは好きじゃないんですが、本当につまらなかった。

ジャニー原作舞台の新作ということで、すっごく楽しみにしていったんです。しかもジャニーズ伝説ですよ?既に色んな伝説を作ってきたジャニーさんがわざわざ伝説と銘打っているんですよ?期待するしかないじゃないですか。ドリボ、滝沢革命、ジャニーズワールド、どれも初演を見た後は「意味が分かんないけどなんかすごかった!!やっぱジャニーさんってクレイジーすぎるぜ!!!!」と熱病に侵されたようなテンションになり、それから一週間会う人すべてにどれだけその舞台が狂っていたかを語らずにはいられないような謎の高揚感がありました。けれども、ジャニーズ伝説にはそれがまったくなかった。今までの舞台と違ってストーリーは分かります。すごくよく分かります。それが全然ジャニーさんっぽくなかった。唯一ジャニーズっぽかったのは人が死ぬ時に白い花が落ちてきて、床に刺さるところくらいです。舞台装置が日生劇場と帝劇では全然違うんだから一緒にするなと言われたらそれまでなんですが、それを差し引いてもジャニーさんが作った舞台の中で一番パワーを感じなかった。


なんでこんなにもつまらないのか考えていたんですが、たぶん曲のアレンジがほとんど当時のままのせいだと思うんですよね。圧倒的にテンポが遅くてそれが古くさい。だからあれほど歌って踊っているのに退屈なんじゃないでしょうか。先日ぱるるが表紙の『別冊カドカワDIRECT』という雑誌を立ち読み(すみません)していて、その中で「アイドルソングはどんどん高速化していてもはや『LOVEマシーン』なんて遅く感じられるくらいだ」というニュアンスの言説があったんですが、ラブマですら遅くなってしまった現代において1960年代の楽曲なんてもはや界王拳20倍で動く悟空に対するヤムチャくらい遅いんです。

誤解されたくないのですが、私は古いものが好きで、懐メロも大好きで、実を言えばアソシエイションもベスト盤を持っている程度には好きです。この舞台を見た後、十数年ぶりにアソシエイションのCDを引っ張りだして「Never my love」を聞いたのですが、本当にアレンジがほぼそのままなんですよ。
古いものを古いものとして楽しむならいいと思うんです。でも、それを元に新しい作品を作りたいのであれば、それなりのアレンジが必要だと思うんです。そういう現代への気遣いがまったくされていないから、この物語はつまらないんだと思います。


しかし、見ているうちに、このつまらなさにこそジャニーさんのむきだしの欲望が込められているのではないかと思うようになりました。そして私はジャニーさんが心配になったのです。


去年初演を迎えたジャニーズワールドにもジャニーさんの欲望が溢れていました。紫の上のごとく小さい頃から大事に育てた薮くんに自分の役をやらせて、その最期を山田くんに看取らせ、勝利くんがびしょぬれになって半裸で踊り狂う中、天使の格好をしたフマケンに天国まで連れて行ってもらい、死後は若い姿で蘇ってABCに導かれながら一緒にジャンプと宇宙を旅する、これはまさにジャニーさんの理想の死であり、理想の死後の世界に他なりません。あの舞台はジャニーさんが死への恐怖を払拭するための舞台だったのだと私は思っています。そういう主題のもと作られていたからこそ、ちょうどこの舞台の初日と重なった森光子さんの死はジャニーさんに深い感銘を与え、見ている者にとっては蛇足でしかなかった長すぎる追悼コーナーを作ったんだと思います。
その前身としてあったのが、滝沢革命の長すぎるじじいのシーンです。ニッキはともかく、なぜタッキーやゆまたんがじじいに扮しなければならなかったのか。それはジャニーの老いに対する恐怖を払拭するためだったのです。大好きなタッキーもゆまたんもじじいなのであれば、自分がじじいであっても恐れることはありません。むしろお揃いです。ペアルックです。だから、ジャニーズ舞台において、じじいはもはや切り離せない要素となり、ジャニワにおいても山田くんと薮くんがじじいになる羽目になったのでしょう。


ジャニーさんは滝沢革命とジャニワにより、老いと死の恐怖を克服しました。そして人生を振り返ってみて、最後にやり残したことがジャニーズ事務所の原点である「ジャニーズ」の無念を晴らすことだったんじゃないでしょうか。「ジャニーズ」を当時の姿のまま再現し、現代のジャニーズファン、そしてジャニーズの若手たちにそのことを知らしめることがジャニーさんに残った最後の欲望だったのです。

今までの舞台はジャニーさんの欲望の発露であったとしても、最新の楽曲や豪華な衣装・セットをふんだんに盛り込み、訳が分からないながらも見ている側が満足できるエンターテイメント性がありました。だけど、ジャニーズ伝説はジャニーさんの過去のやり直しなので、そのようなアレンジは邪魔以外の何物でもありません。当時の姿にできるだけ近づけることが、ジャニーさんの最後にして最大の欲望だったのです。「ジャニーズ」として出すことのできなかった歌を主題歌に据え、今まで数々の舞台(と書いて欲望と読む)を支えてくれたA.B.C-Zに当時のことを(微妙に都合の良いフィクションを交えつつ)再現してもらい、実際にその曲を発売する。ジャニーさんにとって、これ以上の喜びがあるでしょうか。こうすることによりジャニーさんの最後の無念は昇華されたのです。


終末の恐怖を乗り越え、始まりの無念を昇華したら、人間には何が残るのでしょうか。私は何も残らないような気がするんですよね。「情熱JUMP」に「完璧じゃないから僕らは次にいける」という歌詞がありますが、完璧になってしまったらきっと人はもうどこにも行けないんです。そう思うと、私はこの舞台がジャニーさんの最高の冥土の土産に思えてきて、ジャニーさんがとても心配になってしまったのです。


今年に入って派閥の再編と思える事態が多数発生し、ジャニーさんは一線を退いたという説がジャニヲタたちの中でまことしやかに囁かれていますが、この舞台を見て確かにそうなのかもしれないと思いました。宇宙は膨張し続けているが、ある時点で収縮に転じ、やがて一点に収束してしまうという説があります。同様にジャニーさんの中の宇宙も収縮が始まっているのかもしれません。
ただ、あまりにも宇宙は広すぎて、膨張しているのか収縮しているのかなんてちっぽけなおたくには分かりません。だから、来月から始まるトニトニで「やっぱりジャニーさんの宇宙は広がり続けている!!」と確信できる何かがつかめればいいなぁと思います。


そして、自分がどんなに良いものだと思っていても、過去のものは現代の人にとって退屈なものにすぎないんだなと思いました。興味のない人に自分の価値観の押しつけることを控え、せいぜいブログに書き散らすに留めようと自戒できる舞台でありました。