愚民159

人はただ十二三より十五六さかり過ぐれば花に山風

秘密の花園

私は児童文学が好きです。なぜなら児童文学の主人公は大抵少年だからです。児童文学は少年少女のための文学です。そこには最近の漫画にいるような萌えにしばられた少年はおらず、天然ものの少年たちがのびのびと息づいています。私はショタコンですが、かわいこぶったショタは苦手です。自立したショタが好きなのです。だから昔のぶりぶりしている知念たんを見ていてもそこまで心動かされなかったのに、「おおきくな〜れ☆ボク!!」という自己主張1000%な曲を歌い、「かわいいね」という言葉に対して「知ってます」と不遜にも思える態度で答える知念様を好きになったのです。

というわけで、児童文学の名作『秘密の花園』を読みました。偏屈な少女メアリと天真爛漫な少年ディコンと寝たきりの癇癪持ちな少年コリンが閉ざされ荒れていた花園を生き返らせることによって成長し、偏屈な少女は美少女へ、寝たきりの癇癪持ちな少年は健康的な美少年になるというお話です。多少語弊はありますが、大体こんな話です。コリンたん(美少年)のツンデレっぷりがとても素敵なお話で、ショタコンとしても満足な一冊です。


この物語には心を閉ざした人たちがたくさん出てきます。メアリ、コリン、庭師のベン、そして屋敷の主である妻を亡くしたクレイヴン氏。「秘密の花園」というのは彼らの心そのものです。荒れ果てていた花園が綺麗に手入れされていくと共に、彼らの心も開かれていき、みな人生を祝福していくようになります。

「これよ。これが秘密の花園。この庭が枯れないでほしいと願っているのは、世界じゅうでわたしひとりだけなの」

メアリのこの台詞の「庭」を「心」と読みかえるとなんだか切ないです。メアリたちほど荒涼としてはいないでしょうが、人はみな心の中に秘密の花園をかかえている気がします。そこには誰も入ることができず、枯れないでほしいと願っているのは世界じゅうで自分ひとりだけなんです。この物語には動物の言葉が分かる森の妖精のようなディコンがいて、荒れた花園を作りなおしてくれますが、実際の人生にはディコンはいません。

そんな風に少しいじけていると、コリンたんはこう提唱してくれます。

「もちろん、この世界にはたくさんの魔法があるにちがいない(中略)たぶん、魔法の第一歩は、『きっといいことが起こる』と口に出して言ってみることだと思うんだ。実際にそういうことが起こるまで」

コリンたんは花が成長することも、自分の足が立ったこともすべて魔法のおかげだと言います。その魔法はすべての物事の中に存在しており、繰返し口に出して信じることによって実現できるようになると考えたのです。森の妖精みたいなディコンに手伝ってもらって花園が再生したやったー!だけで終わらないところが、この物語のとても良いところです。コリンたんはそれからちょっとあやしげな儀式っぽいことをみんなに強要したりするのですが、その儀式は置いておくとして、魔法という考え方自体はとても素敵だと思いました。

知念様は「仕事は楽しい」「努力は嫌い」「自分はかわいい」と言い切ります。そう言い切ることは知念様の魔法なのかもしれません。知念様は空中ブランコを一回も失敗したことがありませんが、その成功を支えた強い精神力の源にはそんな魔法の力が大きく作用していたんでしょう。魔法には悪い魔法もあって、知念様は「人見知り」っていう悪い魔法を自分にかけてしまっている気がします。今のドラマを機にそんな悪い魔法が解けるといいなぁと思います。


と、気付いたら知念様のことを考えていて、そんな自分にびっくりしながら読み終わりました。とても面白かったです。

秘密の花園 (光文社古典新訳文庫)

秘密の花園 (光文社古典新訳文庫)