愚民159

人はただ十二三より十五六さかり過ぐれば花に山風

ショタコンとようじよ

今日は弟に第二子が生まれました。めでたいですね。第二子ということは第一子(4歳、仮名ようじよ)もいるわけで、弟のお嫁さんが入院している間、誰がようじよの面倒を見るかということがかねてから我が家では議題となっておりましたが、たまたま絶妙なタイミングで自宅療養という名の二ート生活を送っていた私が家にいたため、ようじよのお目付け役として白羽の矢が立ちました。私はショタコンですが、ロリもいけるクチなので「わーいようじよだーー」とのんきに喜んでいましたが、すぐにそんな気持ちは飛んで行きました。正直言って、主婦業なんて外で働くことの100倍楽だと思っていたんですが(ほんとすみません)、子育てが絡むと本当に大変!だって仕事は自分ががんばればある程度どうにかなるけど、子供ってまったく思い通りにならないジャン!同僚に愚痴を言うこともできないジャン!お酒を飲むわけにもいかないジャン!思わずハセケン化してしまうくらい大変ジャン!(古い)


ようじよと過ごすようになり、最初に陥ったのはプリキュア無間地獄でした。子供ってなんであんなにプリキュアが好きなんですかね。この日、ジャンプコンDVDのコメンタリーを大画面で見るべく、スマホとテレビをつなげるナイスな線を購入していたんですが、完全にプリキュアを再生するためだけのアイテムと化しました。ジャンプとの共通点といえば主題歌の作詞が藤林聖子さんという点のみ。「世界はまるでメリーゴーランド!愛でまわるよワントゥースリー!」という歌詞には「騒音中(So want you)世界中 Happen to you」という歌詞に通じる前向きさがある気がするけど、悲しいかなどうがんばって見てもプリキュアはジャンプに見えないんだよね(当たり前)。そもそも私の知ってるプリキュアは「プリティでキュアキュアふたりはプリキュア〜〜〜〜」っていう異常に「三つ目がとおる」の主題歌に似ている歌にもある通り二人だったんだけど、いつの間にこんな大所帯に。エンディングでその子たちが踊ってて、今の時代のヒーローは歌って踊れないといけないなんて大変ねぇと思いました。これのせいでテレビもスマホも拘束されているため、本当にプリキュアを見ることしかできませんでした。

でもまぁプリキュアを見て大人しくしてくれればいいんです。だけど、ようじよは寅さんばりに突然「行く!」と宣言し、プリキュアを放置してどっかいっちゃうんです。行くったって台所くらいしか行くところはないんですが、フーテンのようじよは台所でも楽しいみたいで勝手に旅に出てしまいます。
台所は寒くて手術した傷が痛むからあんまり行きたくないんだけど、放置して勝手に遊ばせておくこともできません。なぜなら、ようじよは突然衝動に見舞われ、悪魔の言葉「おしっこ!」を放つからです。ようじよはギリギリまでこの言葉を口にすることができません。お前はカツンかというくらい尿意や便意に対してギリギリで生きています。このリアフェ現象(ギリギリすぎるおしっこ宣言)には常に脅かされていました。おしっこ自体は自分でできるのですが、トイレの電気をつけたりドアを開けたりすることが身長的な問題でできないので、そばにいないと場外乱闘(おもらし)が勃発し、逆に大変な事態になってしまうのです。

そのワンランク上の悪魔の言葉といえば、もはや誰でも予測がつくでしょうが「うん○!」です。ようじよは基本的に私に対しては「このおばちゃんだれ?」みたいな態度でしたが、大きい方だと自分でおしりがふけないので、この時ばかりは心(とおしり)を開いてくれました。悪魔が去った後は大抵ようじよがくさがるので消臭剤をまいてあげるのですが、「いいにおい〜」とトイレの中でパンツもはかず手を広げてうっとりとしている姿は、かつて大阪城ホールで「ここでDo you agree?が流れんねや〜〜」とミュージカル調で言い放ったやっさんの姿とかぶりました(雑誌で読んだだけだから見たことないけど)。ようじよの手にかかればトイレも城ホになるんですね。


幸い健康に過ごしてくれたので、そこまで大変なことにはなりませんでしたが、楽しいけどすごく疲れました。弟や妹が私のことを「おねえちゃん」と呼ぶので、最終的にようじよは私のことを「おねえちゃん」と呼んでくれたのですが、三十路にして4歳のようじよにおねえちゃんと呼んでもらうことには格別の喜びがありました。ただ、公園でも「おねーちゃーん!!」と絶叫されたので、傍から見たらすごく複雑な家庭の事情があるように見えたと思います。ようじよに「おねえちゃん」と呼ばれる刹那的な快楽と引き換えに大切な何かを失った気がしました。ショタ道は修羅の道なので今までも大切なものをたくさん失っている気がするのですが、やはり何事も分相応が一番だなぁとしみじみ思いました。