愚民159

人はただ十二三より十五六さかり過ぐれば花に山風

粗末と切なさ

何ものをも、とりわけ自分自身さえ大事にしないナスターシャ・フィリポヴナは(中略)、ただ自分が限りなく残忍な嫌悪をいだいている相手を思う存分辱めてやることさえできれば、たとえシベリアであろうと、懲役であろうと、もう取返しのつかぬほど醜い方法で自分自身を破滅させてもかまわない覚悟であった。
(『白痴(上)』ドストエフスキー木村浩訳)

黒澤明の映画『白痴』がとても面白かったので、最近『白痴』を読み返しているんですが、この部分を読んで2012年4月22日放送の『スクール革命』を思い出しました。この日、みんなで「壁に体をつけると足が上がらなくなる」という実験をしていました。

▼人間は、体を傾けることで重心を保つことができ、片足でも立っていられる。
▼ところが、体の左側が壁にくっついた状態では、重心を保つことが出来ず、結果足が上がらなくなる。
『スクール革命』2012年4月22日OA放送内容

上記の理由で、普通片足は上げられないはずで、実際にJ組のメンバーが上げられないと喚いている中、知念様だけは躊躇なく片足を上げて横にころんと倒れるという行為を何回か繰り返していました。転がる知念様はとてもかわいらしく、そんな知念様の運動神経を絶賛しながらコーナーは次のお題へ進んでいったのですが、私は何度も躊躇いなく転ぶ知念様を見てたまらなく切ない気持ちになりました。片足を上げられないのは倒れることへの本能的な恐怖からだと思うのですが、知念様にはそういう恐怖心が人よりも薄いような気がします。コンサート中にせり上がるステージで踊るような時も知念様は見ている方がハラハラするくらい縁に寄って平気で踊っていたりします。恐怖心の欠如は生への執着の希薄さの表れだと思います。そんな知念様を見ていると、自分を粗末にしているようでなんだか切なくなるんです。


幼い頃から中年親父の慰み者になっていた孤児のナスターシャと、愛情いっぱいで育った知念様とでは全然違うんですが、発露の仕方が真逆なだけで根本的な部分は似ているような気がします。もしも知念様が何かを憎むようなことがあれば、自分が破滅するまで破壊的な行動をし続けるタイプなのかもしれない。知念様が争い事を嫌う性格で良かった。その分、ときどき自己犠牲的な面が見受けられるけれど。