愚民159

人はただ十二三より十五六さかり過ぐれば花に山風

アナと日出処の天子

金田一が普通に金田一していて面白かった!!このポップでキッチュでややナンセンスでお約束な金田一を求めていた!!主題歌が超名曲の予感なんだけどどうしたらいいんだろう(好きなものは接するたびに初めて触れたものだと思い込み何度も新鮮な感動を味わうというプレイ中)。水球ヤンキースも今日も絶賛スラムダンクで問題なく面白かった。


そんな宇宙一暑いウィークエンドの日中は『日出処の天子』を読み返していた。「人と違う能力を持つが故の孤独」は私が知念様について考える上でもっとも重要なテーマの一つなんだけど、厩戸王子はまさにそういう孤独を最大限に背負っていて何度読んでも切ない。そして、何度読んでも毛人にイライラするんだけど、最近この手の苛立ちを『アナと雪の女王』のアナに対してもおぼえた。エルサは自分の力に一人苦しんでいて、そんな中でも唯一の肉親である妹アナの存在は支えになっていただろうに、アナときたら外に出た瞬間さっさと男作ってリア充爆発させて無神経なことをエルサに言いまくり。唯一の理解者にそんな仕打ちをされた上、大勢の人たちに迫害までされたら、そりゃあエルサは「ありのままの〜」と歌いながら氷の城に引きこもりたくもなるだろう。厩戸王子が「これからわたしは斑鳩宮でのわたしとして生きるのだから!」と言いながら斑鳩に引きこもったのとまったく同じだ。この手の作品では孤独な能力者の唯一の理解者としてお人よしでちょっと鈍いリア充がよくあてがわれるのがお約束だが、大抵爆発したリア充に被弾してより孤独を深めてしまう。一度一人ではない幸福を味わってしまった分、その後に突き落とされる孤独には一層の闇が落ちる。
私が最近のKCに喜びつつもどこか信じきれないのは、圭人がまさにこの手の作品に出てくる「人よしでちょっと鈍いリア充」的な人物だからであり、高校生になってリア充を爆発させて知念様から離れていったくせに、今更「ちーちゃん」と言いながらすり寄られてもなんだか信じられない。この手のリア充は最終的には別のリア充と寄り添い離れていく。そして、後に残るのはより深い孤独だけなのだ。