愚民159

人はただ十二三より十五六さかり過ぐれば花に山風

入院1日目の夜

痛みはいつも夜に来る。なぜかは分からない。気温の低下や気圧の変化なども原因なのだろうが、暗闇と静寂に包まれるとごまかしが効かなくなり、純粋な自分の痛みと向き合わざるを得なくなる。


管を入れた最初の夜が一番辛い。前回入れた時は痛みのあまり丸1日は起き上がることもできず、トイレにも行かなかった気がする。
しかし、人間は考える葦である。私には前回気胸になった時の経験があり、そのうち動き回れるようになるという知識がある。その知識と経験から、むしろ前回は動かないから動けなかったのではないかという仮説を立ててみた。人には適応能力というものがあるが、それを発動させるためにはその環境に身を置くことが大前提である。痛みに耐えながら動けるようになるためには、率先して動くしかないのではないか。そもそも、そのうち動き回れるようになるのであれば、いま動けないことはないのではないか。ランボーだって傷口を爆破した直後に敵をぶっ潰しまくっていたではないか(この1年くらいマイブームはシルヴェスター・スタローン)。


というわけで、管を刺して数時間後の夜、私は立ち上がって自力でトイレに行ってみることにした。だが、やはりめちゃくちゃ痛い。少し手を動かしただけで、右半身を何かで貫かれているような痛みに襲われる(実際に刺さっているのだが)。
段々アルプスの少女ハイジに出てくるクララになったような気持ちになってくる。ハイジは立てないクララを罵ったが、野山を裸足で駆け回る健康優良児世界代表みたいなハイジに何が分かると言うのか。痛みに耐えて立ち上がることがどれだけ辛いか知っているのか。チェーホフの『六号病室』に出てくるイヴァン・ドミートリチはこう言っていた。「苦悩を軽蔑することは、大多数にとっては生活そのものを軽蔑することを意味したでしょう」苦しみは生きることそのものであり、それを否定することは人生を否定することである。あの殺戮マシーンのジョン・ランボーだって、俺の戦争は終わってないと号泣していたではないか。苦痛には叫びと涙で答える、これが人間なのだ!

それでも戦い続けたランボーに勇気をもらいつつ、30分くらいかけてベッドの柵にすがりつきながらなんとか立った。管は排気を促す器械(画像参照)に繋がれており、その器械は点滴棒にぶら下がっている。点滴棒にすがりつつ、徒歩10歩程度のトイレまでの道のりを5分くらいかけて歩く。生まれたての子鹿だってもっとしっかり歩けるだろう。しかし、管を入れた日に歩けたことに無上の喜びを感じた。心の中のハイジも「愚民が立った!」と喜んでくれた。


気胸になると、呼吸をひどく意識するようになる。画像の器械には中央に青い水が入っており、この水は呼吸とともに上下に動く。咳き込んだりするとブクブクと泡立つ。これが動いている間は肺から空気が漏れているということなので、なるべくブクブクしないように注意する。しかし、ちょっと咳き込んだり、トイレでいきんだりすると途端にブクブク鳴り出す。そういう時は連動して傷口も痛む。
一番辛いのはくしゃみをした時だ。リアルに「爆破しそうだよこの胸は」(by.タッキー)状態になり、爆発的な痛みによりしばらくその場で硬直して動けなくなる。器械は泡立ち、思わず「痛い痛い痛い!!」と声が出る。この器械はもはや私の肺の一部であり、人間だったら「愛してる分かってる君(の肺)のこと」と歌ってくれることだろう。なので、この器械のことはタッキーと呼ぶことにした。


管を刺した夜、トイレで一通りの作業をこなしてベッドに戻るころには息切れを起こし、タッキーの青い水は激しく上下に動いていた。しかし、ここで立てたことが自信につながり、次の日からはかなり動けるようになり、前回出たような高熱も出なかった。やはり、多少無理をして動いたことは正解だった。苦痛を乗り越えたところには必ず得るものがある。

ささやかな達成感は得られたが、それはそれとして痛いものは痛かった。