愚民159

人はただ十二三より十五六さかり過ぐれば花に山風

かわいい知念様とかわいい徹子

先日、知念様が必殺仕事人の番宣で「徹子の部屋」に出ていた。徹子(敬意と愛情を込めてあえて呼び捨てで書く)はまるで花を摘む少女のような天真爛漫さで何度も知念様のことを「かわいい」と言っていた。

知念様はかわいい。
これは本人も認めている事実で、否定する人はいないと思う。

私が知念様を好きになったのは知念様が高校に上がる直前の3月のセブンコンだった。「かわいい」という武器で触るものみな斬りつける知念様に夢中になった。高校に上がってしばらくすると、知念様がかわいさの中に引きこもっているように見え、知念様の「かわいい」は防具やシェルターみたいに思えるようになった。

私は知念様のかわいさに対して、「武器」や「防具」などのおよそ似つかわしくない例えをよくしてしまう。それは私自身が「かわいい」に対してコンプレックスがあり身構えてしまうからなのかもしれないし、知念様の魅力を「かわいい」という単純化した四文字に押し込めることによって、知念様を自分の位置にまで引きずり下ろすような不敬さを感じていたからかもしれない。

私はずっと知念様に対して「かわいい」ということにどこか抵抗があった。「かわいい」という言葉は基本的には庇護すべき対象に向けられるもので、知念様をどちらかといえば畏怖の対象としていた愚民には言う資格のない言葉なんじゃないかと思っていた。だから知念様のかわいさに言及する時には「かっこいい」という言葉を添えていた。

今でこそ、メンバー全員が知念様かわいいおじさんみたいになっているけれど、高校生くらいの時は「また知念がなんかかわいこぶってるよ」みたいな感じで結構冷たくあしらわれていた。メンバーのほとんどが幼い頃からジャニーズの第一線で活躍していて、「かわいい」なんて言葉は全員浴びるほど受けてきたと思う。だから、みんな「かわいい」を捨てたい年頃だったのかもしれない。それでも知念様はかわいいことを曲げなかったし、あえて自分からメンバーの庇護下に入ることによって思春期でバラバラの方向を向きがちなメンバーを繋ぎとめる役割を果たしていた、と私は勝手に思っているし、過去にも何度か書いた。

知念様の「かわいい」には強い覚悟と信念がある。
それは今も昔も変わらないと思う。

ただ、徹子が本当になんの衒いもなく、知念様を「かわいい」と何度も(私の雑なカウントでは12回)言っていて、その無邪気さにびっくりしてしまった。私は知念様のかわいさを語る時にはなぜかいつも臨戦態勢をとっていたけれど、本来「かわいい」とはこういう何気ないひだまりみたいな幸福な感情なのだろう。年齢という概念を超越してる徹子は時には幼い少女のように、時には慈悲深い祖母のように、花や動物を愛でるような自然さで知念様を「かわいい」と言っていて、知念様もその言葉をやわらかく受け止めていた。

番組では知念様がジャニーズ事務所に入ったきっかけや、トリオの高校時代、メンバーや家族との関係性を話していた。ほとんどすべて知っている情報だったものの当時の映像や画像を織り交ぜて、改めて丁寧に語られる来歴を見ながら、知念様のかわいいを思い出していた。

「かわいい」と言われれば「知ってる」と不遜に答えていた中高生の頃の知念様にとって、やっぱり「かわいい」は武器であり防具でもあったのだと思う。高校卒業会見の映像も流れたが、あの頃の知念様の痩せて荒れた頬に張り付いているかわいさには、どことなく悲壮感もあった。

今の知念様は「かわいい」と言われると、少しはにかみながら、やわらかく受け止める。ふっくらとした頬はつるりとしていて、薔薇色に輝いている。そんな知念様を見て、私も「知念様、かわいいな」と素直に思えた。