私はずっと、裕翔くんと知念様の関係は「終わらない放課後」みたいだと思っていた。学校で会えば楽しく話すし、仲が良いか悪いかといえば間違いなく仲は良い。放課後になんとなく教室に残っていればいつまでも楽しく話し続けることだってできる。だけど、休みの日に連絡を取り合ってまでは会わないし、卒業したらきっとそれっきりなんだろうなぁという淡く儚い関係。
放課後は大人になれば終わる。けれども、二人は学校を卒業してからもHey! Say! JUMPというグループで活動していたので、まるで学校が続いているかのように約束しなくても会うことができた。箱庭のようなJUMPに放課後の雰囲気はよく似合っていて、そんな二人の終わらない放課後はずっと続くものだと思っていた。
今年の5月、特に深い理由もなく『秘密』というドラマを見始めて、裕翔くんの俳優としての素晴らしさに突然気が付いた。主演の李光人くんやスタッフから演者として信頼された上でこの難しい役どころをこなしていることが画面から伝わってきたし、真摯でひたむきで実直な演技は役に合っていて素晴らしかった。裕翔くんがとても美しく大きな目をしていることにも今更ながら気付いた。
舞台『みんな鳥になって』も見に行った。激情の奔流のような内容で見ているだけで疲弊したけれど、難しい主題を裕翔くんは丁寧に咀嚼した上で、役の人生に寄り添って演じていることが伝わってきた。裕翔くんはやっぱり素晴らしい役者だと改めて思った。
その勢いで、写真集『Hue I am』も購入した。インタービュー中の「『ホームがあるっていいね』ってうらやましがられることがありますが、僕自身そこは感謝しています」「僕はアイドルの自分を間違いなく誇りに思っている」という言葉がとてもうれしかった。
デビューしてしばらくの間、裕翔くんはJUMPであることが辛そうに見えた。ちびっ子ジュニアとしてセンターを張っていた裕翔くんにとって、成長は呪うべきものだった時期があったんじゃないかと思う。裕翔くんは薮くんの身長は超えたくないと言っていた(ような気がする)し、知念様も声変わりが怖いというようなことを言っていたことがあって、成長を恐れなければならないアイドルのいびつさや歪み、幼い頃から大衆の視線に晒されることの功罪を考えることもあった。
けれども、JUMPの子どもたちはそのまま歪むことなく成長し、気付けばすっかり立派な大人になった。中でも、裕翔くんは伸びやかに育った体を活かして俳優業やモデル業に邁進し、それらの自己実現の集大成のような写真集を出した。そんな写真集の中で、裕翔くんからJUMPやアイドルを肯定する言葉が聞けて、私はとてもうれしかった。裕翔くんにとって成長はきちんと祝福になったんだと思った。
私はただの知念様のファンで、裕翔くんのことは正直よく知らない。写真集のいろんな表情の裕翔くんを見て、私は裕翔くんのことを何も知らなかったんだなと改めて思った(そんなこと言ったら別に知念様のことだって知っているわけではない。ただ執拗に見ていただけだ)。でもメンバーと一緒に笑って、時には泣いて、JUMPとして18年間歩んできたアイドルとしての裕翔くんがずっとそこにいたことは知っている。裕翔くんはいつだって元気で、少しエキセントリックで、コンサートの最後でも疲労なんて概念を知らないんじゃないかというくらい目一杯に動き続けていて、アイドルであることをのびのびと楽しんでいるように見えた。そして、不器用に思えるくらい真面目で真摯な人だったと思う。
今回のことはあまりに突然で、あまりにJUMPらしくも裕翔くんらしくもなくて、きっと私たちには知ることもできない事情があるんだと思う。それは明日にも分かるかもしれないし、一生分からないかもしれない。
俳優業に専念したいという言葉は、俳優としての裕翔くんの素晴らしさに気付いた今だからこそ分かるけれど分からない。アイドルを全身で楽しんでいた裕翔くんは絶対にいたし、そんな彼をもうコンサートで見られないことが信じられない。
もっともコンサートに行ったところで、私は知念様しか見ていなかった。だから、結局は裕翔くんがいてもいなくても、私にとっては実のところそんなに変わらないのかもしれない。ただ、裕翔担の友人と一緒にコンサートを見て、終演後お互いの感想を言い合って、「同じコンサートなのに全然違うものを見ていましたね」と笑い合うことができなくなるのかと思うと、とても淋しい。
私は圭人と知念様の二人の空気感が好きだったので、圭人がいなくなる時も淋しかった。だけど、この二人は友人としての側面がかなり強かったので、そのうちまた仲の良い話を聴ける機会もあるだろうと思っていたし、実際に思い出したようにちょくちょくエピソードも出てくる。だけど、裕翔くんと知念様はそういうことはない気がする。
裕翔くんと知念様の放課後は終わり、それと同時にゆるやかにこれから少しずつ何かが終わっていくのだろう。そのことを思うと、ただただ途方に暮れるし、たまらなく悲しい。