愚民159

人はただ十二三より十五六さかり過ぐれば花に山風

絶対的覇王への道

Hey!Say!7コンで知念くんに覚えた戦慄について。知念くんファンの方は読まない方が良いかもしれません。ただ誤解されそうなので最初に言っておきますが、これは知念くんの人となりをまったく知らない外野ヲバの妄想というか妄執というかもはや願望に勝手な思い込みであり、今の私が綴れる知念くんへの最大限の賛美です。「覇王」と書いて、これを「知念侑李」と読みますのであしからず。


一応ネタバレも含むので隠します。




知念くん作詞のソロ曲を聞いている間中、開いた口がふさがりませんでした。ジャニーズを見てこれほど戦慄したのは、ドリボの初演を見た時以来です。
きょうび、作詞をするジャニーズなんてたくさんいます。そのテーマはほとんどが「恋愛」、しばしば「友情」、ときどき「自分探し」(例外「プリン」)で、ジャニーズ曲に限らず、巷に流れている音楽の大半はそうでしょう。あの全盛期の反町隆史ですら「POISON〜言いたいことも言えないこんな世の中は〜」と激しく自分を探しておりました。
ところが、覇王は自分なんて探しません。覇王に「自分探し」なんて言おうものなら、「え?どこでそんなの探すの?だってボクはここにいるじゃん!」と、天使のような笑顔で小首をかしげるのでしょう。


覇王は愚民に尋ねました。
「おおきくなったほうがいいと思う人?このままでもいいですか?(「いいよーー!!」という大多数のファンの声)じゃあこのままでいいのかな。でもね、ボク大きくなりたいんです。そんな気持ちを込めて歌詞を書いてきました。みなさん、聞いてくれますか?」(すみません、超ニュアンスです)


お客さんの意見を聞いているようで聞いていない知念くん。
そして発表されたタイトルが、


「おおきくな〜れ☆ボク!!」(作詞:知念侑李)


この曲のすごさ、それはどこまで行っても「自分」しかいないところです。猫も杓子も自分探しをしているPOISONな時代に、覇王は「自分」にまみれて生きています。


背の小さい男子の心情を歌った曲といえば、嵐の「身長差のない恋人」があります。この曲の「僕」は常に「自分」と「他者」との関係性の中で自分の身長を捉えています。「君」との身長差を測って嘆きつつも、宇宙や未来までの距離と相対化して前向きになる「僕」ですが、きっと彼は恋人の身長が自分より10センチ小さければ、自分の小ささについてはそこまで悩まないのでしょう。「僕」の基準はあくまで「君」で、「君」がいなければ大きかろうが小さかろうが、正直どちらでも良いのでしょう。


しかし覇王は違います。他者なんて関係ありません。彼はただ純粋に、絶対的に大きくなりたいのです。覇王は嘆きます。身長制限のせいでジェットコースターに乗れない(ってどんだけちっちゃいんだよ!)、つり革につかまれない。みんなから「誕生日に何が欲しい?」と聞かれるほど愛されていることをにおわせつつ、彼は言います。「ゲームでもなく、服でもなく、身長が欲しい」と。


そこまでして身長を得て、彼は何をしたいのか。
それはごくごくシンプルな、けれども王者の資質を持つ者しか言えない欲望でした。

とりあえずみんなを見下ろしたい

「誕生日に何が欲しい?」と聞いてくれる「みんな」をとりあえず彼は見下ろしたいのです。しかも「とりあえず」です。覇王にとって、「みんな」は自分の大きさを確認するための書割にすぎません。覇王にとって他者は、大きさを分かりやすく知らしめるために横に並べるタバコの箱程度の意味しか持たないのです。
間にバスケット大会なんぞを挟んでなごみつつ、覇王の野望が最後の最後で明かされます。

誰もつかめないほど高いもの ボクはつかんでみせるね

「誰もつかめないほど高いもの」とは一体何なのか?
彼は一体何を目指しているのか?
デスノート」の夜神月あたりが言いそうな台詞を、どこまでもポップ&キュートに歌いあげる覇王……ここまでくると、彼に「身長」だけは与えてはいけない気すらしてきます。


私と友人をおののかせた「おおきくな〜れ☆ボク!!」ですが、周りのHey!Say!ガールズの反応はおおむね「かわいい!!」でした。


赤ちゃんの「かわいらしさ」は自己防衛の一種である、といわれています。赤ちゃんは無知で無力で、1人では何もできません。だから「かわいさ」で武装して、大人の庇護欲をかきたてることが、赤ちゃんにとっては自己防衛になります。大人に世話を焼いてもらうために、赤ちゃんははかわいく生まれてくるのです。


知念くんは確かにかわいいと思います。けれども、人並み以上の運動神経を誇り、デビューまで果たしている知念くんの持つ「かわいさ」はもはや「過剰防衛」の域に達しているように私には思えます。彼の「かわいさ」は攻撃的です。一つ一つの仕草が強烈なボディーブローで、そこに素直に打ちのめされて快楽を感じる人間もいれば、その痛みに恐怖を覚える人間もいるのでしょう。


「かわいさ」という武器を手放すことなく、野望を歌い上げる知念くん。かつて錦戸亮が無意識の内に使いこなしていた武器を、知念くんは意識的に使いこなしているように見えます。
その武器を彼はどこまで使い続けるのか。
彼の覇王の道がどこまで続いていくのか。


これからも覇王・知念くんを一方的に応援していきたいと思います。