愚民159

人はただ十二三より十五六さかり過ぐれば花に山風

ワンダーランド・ジャンプ

滝サマーは全部行く!以上!
誰も聞いてくれない知念様とJUMPの話を飽くまでさせて下さい(泣)
自分でもこの熱を持て余しています(泣)
というわけで「ワンダーランド・トレイン」が好きすぎる疲れた大人の話。歌詞の引用はすべて以下より。

『ワンダーランド・トレイン』
作詞:森田文人、作曲:陶山隼


「ワンダーランド・トレイン」というのはJUMPっこたち自身のこと*1なんだと思うんです。


私は若い子たちが走っている姿が好きです。若い子たちはなりふりかまわず全力で走ることができます。その姿に憧れます。
大人になるとそうそう全力では走れません。常に余力を残しておかないと安心できません。いま全力を出して、後でもっと体力を使うことが出てきてしまうかもしれない。いきなり壁が出てきて衝突してしまうかもしれない。様々な推測と計算が全力で走ることを押しとどめます。全力で走ることはもはや恐怖ですらあります。


「真夜中のシャドーボーイ」のPVメイキング映像に、待ち時間に自転車でスタジオの周りをぐるぐる走るJUMPっこたちの姿が映されています。これから撮影が控えているというのに、彼らは馬鹿みたいに全力で自転車を漕いで、そして何が楽しいのか全力で笑っています。
若い子はきっと「瞬間」をビーズのようにつないで生きているのだと思います。彼らの前に道はありません。瞬間瞬間をその場でつないで、その上を疾走している。先の見えない「瞬間」を生きているから、彼らは先のことを考えず全力で走れるのでしょう。


私にとって生きることは先の見えている糸をたぐるようなものです。何があるかはもうある程度分かっていて、その上をなぞるだけ。それに耐えきれず、アイドルというビーズをつけてなんとか日々をしのいでいます。
「ワンダーランド・トレイン」には「明日がもったいない」という歌詞がありますが、「明日」は単なる「今日」の繰り返しに過ぎない私にとって、「明日」をもったいないと思える若さが眩しい。


そんなネガティブな大人にこの曲は笑顔で話しかけてきます。

どうしてキミは淋しいの?
いつから泣いているの?

知念様の歌声にはいつでも迷いがありません。少年と少女の狭間のような中性的で無邪気な歌声はもはや聖母のララバイです。すべてを見透かされたような問いかけを聴いていると、そのまま知念様の胸で泣きたい気持ちに襲われます。
続けてJUMPっこたちは歌います。

ここへおいでよ その瞳とじて
見えるさ 夢の世界

明るく誘ってくれるJUMPっこたち。私だって行けるものなら行きたい。何も考えず、全力で走りたい。けれども私はもはやJUMPっこたちのように全力では走れません。私にできることなんてたかが知れています。しょせん「昭和でSHOWは無理」なのです。


しかし、この曲はここからがすごいのです。一緒に走りたくても走れない大人のために、彼らはあるものを用意してくれています。

いま 風切って 飛び乗って
キミと Wonderland-Train
ほら ベルの音 響いてる
急げ Wonderland-Train
未来が 両手ひろげ 待っている Go!Go!Go!

そう、彼らは「Wonderland-Train」という列車を用意してくれているのです。彼らのように全力で走ることのできない大人も、それに乗れば風を切って走る感覚を追体験することができるのです。「私を両手ひろげ待っているのは老後だよ……」というネガティブな呟きも、「Wonderland-Train」に乗れば吹き飛ぶのです。


そして私は思うのです。
「ワンダーランド・トレイン」というのはJUMPっこたち自身のことなんだと。


彼らを見ていると、全力で走っているような心持ちになれるのです。
まだ走れるかもしれない、という希望を持たせてくれるのです。
私にとっては彼ら自身が「Wonderland-Train」に他なりません。

ほら 愛の歌 響いてる
急げ Wonderland-Train


彼らの走るところには、確かに素晴らしい愛の歌が響いている。
平成も昭和も取り込むワンダーダンド・トレインな彼らのはしっこに、もう少し乗っていたいと思う今日この頃です。

*1:厳密に言えばこれは7の曲なんですが、細かいことは置いておきます。